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本と映画と政治の批評
by thessalonike5


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2008年のインターネット - 世界恐慌と新自由主義とネットとテレビ
2008年のインターネット - 世界恐慌と新自由主義とネットとテレビ_b0090336_1659416.jpgテレビの広告収入が減少して、民放キー局4社が減収減益になったという報道があった。今年の4月から9月のスポット広告が前期比-11%の落ち込みとなっていて、日本テレビとテレビ東京の2社は赤字転落となっている。GDP値も7-9月期はマイナスであり、昨年から続く金融不安と原材料高が日本の景気を著しく悪化させ、その影響が広告業界にも反映された数字が出ている。昨年、テレビの広告費を現在の2兆円から1兆円にダウンサイジングさせ、その1兆円をネット広告にシフトさせることが目標だという勇ましい記事を書いた。その背景には、産経新聞が「MSN産経ニュース」をスタートさせ、日経と朝日と読売の3社がネット事業で提携して共同のサイトを設営する計画を発表し、新聞社が新しい戦略ドメインとしてネットに本格進出する動きがあり、マスコミの事業と活動が旧来の媒体からネットへとシフトする潮流が見えていたことがあった。その流れを積極的に歓迎し、ネットの情報生産を支える物質的基盤として、ネット広告費が増大することを期待する観点からの主張だった。



2008年のインターネット - 世界恐慌と新自由主義とネットとテレビ_b0090336_1627672.jpg1年が経ち、テレビの広告費は確実に減っている。テレビ世界の変化については、景気の影響で広告収入が減少しただけでなく、民放の中で番組そのものに対する見直しの気運が起こり、TBSで「水曜ノンフィクション」が、テレ朝で月曜7時から「ドキュメンタリ宣言」が制作放送され、従来のバラエティ一色の路線から離れる動きが始まった。下劣なバラエティ番組が視聴者に飽きられ、NHKの「7時のニュース」や「クローズアップ現代」が相対的に高い視聴率を獲得している事実が明らかになり、それに対して慌てた民放側の対応だと言われている。この動きは視聴者として歓迎すべきもので、現在の民放の「ドキュメンタリ」や「ノンフィクション」はまだまだ報道の水準が低く、バラエティ的要素を残していて不十分だが、この傾向がさらに加速して、民放が品質のいいジャーナリズムの番組を制作することを希望したい。一方、ネットの方の今年1年は何も積極的な動きはなかった。昨年のようなネットの将来的可能性を予感させるグッドニュースはなく、ネットのジャーナリズムやコンテンツの面でも新しい才能の出現はなかった。

2008年のインターネット - 世界恐慌と新自由主義とネットとテレビ_b0090336_162719100.jpgBLOGについては、新規の参入者は増えているが、全体の情報価値が高まっている実感はなく、マンネリズムになり、貧相になる度合いを増している。新しい本格的な才能による挑戦がないからだ。読者を惹きつける魅力に溢れたクオリティの高い記事を発信する才能が出現しない。それを発掘する事業側の試みも展開されていない。BLOGの読まれ方も、4年前と較べてかなり変化した感じを受ける。それはネット世界全体の変化の一環だが、ネットの情報世界が検索オリエンテッドな世界に再編成されていて、検索がネットを主導している。BLOGについて言えば、以前はBLOGそのものを紹介するサイトがあって、そこからアクセスが入り、ブックマークに入るケースが多かった。現在はキーワード検索からファーストアクセスが入り、そこからブックマークに至るチャネルのウェイトが大きくなっている。ネット全体が検索ドリブンな世界になり、BLOGも検索オリエンテッドな読まれ方が主流になりつつある。これはすなわち、人気ブログランキングやトラックバックセンターの影響力の低下を示すものだ。別の言い方をすれば、BLOGという新規で流行の存在のバブル価値が完全に弾けた。

2008年のインターネット - 世界恐慌と新自由主義とネットとテレビ_b0090336_16272924.jpg今後、プライベートな日記以上の一般的価値を訴求しようとするBLOGは、検索で引っ掛かって読まれる情報の中身を具有する必要があり、そこでの競争になるだろう。仮に検索上位にあっても、中身のない記事ならBLOGはブックマークには入れられない。検索という不特定多数の行為の中で個々のBLOGが評価され淘汰される時代になる。昨年、私は、テレビの方は情報価値がどんどん縮小し、ネットの方は情報価値がますます増大するだろうと楽観的な予想を述べた。1年経ち、私の気分と予想は逆転した状態にある。この金融危機とそれに続く世界恐慌の経済情勢の中で、テレビより先にネットの事業の方が深刻な打撃を受けるかも知れない。そのような予感を持ち始めた。その理由は幾つかある。まず第一に、ネットの企業広告の面での問題がある。ネット広告の現状は中小企業の小口広告投資が多く、これらは不況の影響を受けると撤退が早い。また、ネット広告の中で比重が大きかった不動産や金融商品が今回の不況で特に大きな影響を受けている。テレビの広告では食品や日用品や家電製品のCMを見る機会が多いが、ネット広告では少し傾向が異なる。金融商品とか派遣会社とか痩身商品の宣伝が目につく。

2008年のインターネット - 世界恐慌と新自由主義とネットとテレビ_b0090336_16273993.jpg広告する商品や企業そのものがそうだが、ネットはテレビと較べて新自由主義の性格がより濃厚だ。テレビ以上に激しく新自由主義的な世界である。この議論を始めると、言わなければならないことは無数にあるが、ここではインターネットのビジネスモデルの問題について少しだけ触れたい。ネットの事業も多種多様で、健全なものも不健全なものも無数にあるけれど、例えば、ニュースサイトとか、ブログサイトとか、大型掲示板とか、ネット利用者が多くアクセスするポータル的なサービスを独立で提供している事業体を見ると、その殆どが極端で露骨な新自由主義的傾向を特徴にしている事実に気づく。また、新自由主義の思想的基調でサイトの情報を編集しているところほど、右翼的な政治的傾向が顕著に窺われる。日本一の規模を誇る掲示板サイトがその典型だ。だが、具体名は出さないが、新自由主義で右翼的な姿勢が経営的に明らかな中規模のポータルサイトは多く、ネットから事業を立ち上げているベンチャー系は例外なくそうだと言っても過言ではない。恐らく経営者のマインドが新自由主義で右翼思想に親近感を持っているのである。彼らは50歳以下の若い世代が多い。無理もないと言えば無理もない社会現象だが、若い世代の「常識」はそこにある。

2008年のインターネット - 世界恐慌と新自由主義とネットとテレビ_b0090336_16275150.jpgテレビの世界で、例えばTBSの「水曜ノンフィクション」を見ていると、70歳を超えた嘗てのTBSの報道関係者が番組に出演している。彼らが現在のTBSの番組に危機感を持ち、これではいけないと一念発起して、後輩である今の経営者に「良質な報道番組」への回帰を迫ったという事情があるかも知れない。テレビの世界には、そういう古きよき過去を知る先輩世代が生きているから、何とか本来のジャーナリズムに回帰する舵取りが期待できるが、ネットの場合は、ポータルやSNSやランキングのサイトを事業運営する経営者は創業者であり、彼らが草分けなのであり、将来の正力松太郎や渡辺恒雄をめざす人間たちなのだ。軌道修正をアドバイスする人間がいない。特に新自由主義の問題について考えると深刻で、考えてみれば、インターネットの生い立ちはまさに新自由主義と二人三脚であり、ネット事業に参入した若い経営者たちは、日本版ビル・ゲイツを目標にし、第二の堀江貴文になろうとして、株での儲けを目当てに事業を始めた人間ばかりである。ITとネットのビジネス世界こそ、金融と並んで新自由主義者の巣窟であり伏魔殿だった。ビル・ゲイツを神と崇め、堀江貴文や三木谷浩史の背中を追いかけた彼らが、果たして新自由主義から転向できるだろうか。そのことを考えると憂鬱になる。

2008年のインターネット - 世界恐慌と新自由主義とネットとテレビ_b0090336_16284949.jpg折口雅博や平野岳史のような人間が、現在の日本のネットのビジネスの中心で現実に采配を振るっている。また、あのような強烈に新自由主義的な人格でなければ、1990年代後半からのネットビジネスの興隆期に経営者として成功を収めることはできなかった。現在のネットのビジネスモデルは、格差社会を生み出している労働者派遣業と同じく、竹中平蔵と新自由主義の規制緩和によって創出された新しい産業だ。生まれながらに新自由主義の細胞で身体ができている。今、米国経済が危機に瀕し、新自由主義の思想と事業が否定されつつある。現時点では、それは金融の分野で明らかな現実だが、いずれ他の産業の領域でも新自由主義が否定される局面が生じることだろう。金融の規制緩和が否定されるだけでなく、労働の規制緩和の錯誤が断罪される事態になるだろう。ネットはどうなるのだろうか。私の予想は悲観的だ。テレビより先にネットの事業破綻が到来するかも知れない。ポータルサイトを含め、ビジネスモデルが崩れて、事業継続が難しくなる企業が続出するかも知れない。最終的に、プロバイダーの利用料金が上がり、貧乏な家庭や個人は負担できなくなり、ネット利用者が著しく減り始め、国が救済の対策を打つようになるかも知れない。無論、それは最悪の想定で、現実になる根拠が揃っていて示せるわけではない。

2008年のインターネット - 世界恐慌と新自由主義とネットとテレビ_b0090336_16504683.jpgだが、後から振り返ったとき、2008年は大事な年だったと言われるかも知れない。あの転機にテレビは方向性を変えたから生き残ることができ、ネットは情報の価値を充実させられなかったから衰退したと、そう言われるようになるかも知れない。BLOGの世界は、相変わらず無能な者たちが「ネタ」と「陰謀論」と「誹謗中傷」と「アクセス稼ぎ」に精を出し、政治を変える運動の萌芽を起こすことさえできない。志の高い人間がいない。知識と教養と理想と矜持と想像力を持った人間が、ビジネス運営の側にもコンテンツ発信の側にも出て来ない。現在のNHKの番組なら、幾許かの政府盲従の偏向の問題はあったとしても、国民的レベルの認識と評価で、あれは経費と負担がかかり過ぎるから潰してしまえという話にはならない。だが、ネットならどうだろう。あんな「便所の落書き」の内容なら、企業だけが仕事で利用する道具でよくて、わざわざ個人が見る必要はないよという結論になるかも知れない。利用料金が一気に上がり、携帯電話で偶に必要な情報だけ見る情報インフラに変わるかも知れない。ブログを始めた頃は、テレビや新聞に代わってネットを日本のジャーナリズムの本拠地にしたいなどと空想していたが、今は考え方が変わった。変わった理由の一つは筑紫哲也の死である。大事なのはやはりテレビだ。テレビに人間を出さないといけない。今は強くそう思う。

来年以降、より新自由主義色の強かったビジネスや企業から先に崩壊して行くだろう。

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by thessalonike5 | 2008-11-30 23:30 | 新自由主義と反貧困
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