
ジョージ・ソロスが独紙の取材に答えた
記事の中で興味深い予測を述べている。
「危機で大きな傷を負った欧米は地位を失い、中国が新たな金融帝国の座につく」、「この25年間アメリカが犯してきた過ちにより権力の中心はアジアへ移行する」。現在、著書が日本でもベストセラーになっているこの投機家は、ハンガリー系ユダヤ人の出自と経歴を持つ不思議な人物である。歴史に残る新自由主義者の代表格であり、97年のアジア通貨危機でもヘッジファンドの首謀者として暗躍し、また政治的にはグルジアのバラ革命を資金支援した栗幕だが、単なるゼニ儲けの相場師ではなく、知識人として十分な知性と内面を持ち、特に今回の金融危機に関する発言では当を得たものが多い。もしソロスがハンガリー生まれでなく、英国か米国で生まれていれば、投機家ではなく政治家が経済学者になっていただろう。東欧の小国の20世紀の厳しい運命が、そこで生まれた者を数奇な運命に導き、そして、結果的に新自由主義による世界支配をアクセラレートする因子になっている。

今回、ハンガリーがアイスランドやウクライナと同時にデフォルトの
危機に直面した。事情は3国とも同じで、無分別で急激な外資導入景気の新自由主義政策が裏目に出て、信用収縮で欧米の資金が潮が引くようにハンガリーから引き上げたからである。ハンガリーのデフォルトには、水面下で何らかソロスの資金の影響や関係があるのではないか。ソロスが動かす資金は、小国の国家予算や中央銀行資産とは比較にならない規模があり、その気になれば国の一つや二つは簡単に潰せる。昔は、それができるのは米国とソ連だけだった。それが投機家の手で可能になったのが新自由主義の世界であり、そのような世界を作ることが新自由主義の理想だったのである。昨日(10/22)、日本政府がグルジア支援のために200億円を拠出する
報道があった。小さなニュースで、誰も注目していないが、社会保障削減分2250億円のの1割になる巨費が国会審議もなしにグルジアに放り込まれている。名目は「復興支援」だが、実際は違う。カネを入れないとデフォルトになるからだ。ソロスが資金を引き上げた穴埋めだろう。

中国が新たな金融覇者になるというソロスの予言は、「
マネー敗戦」に即して考察すると的を射ている。米国は巨大な経常赤字に加えて財政赤字が膨らみ、このままでは通貨ドルが暴落して米国債が償還不能に陥る危険性がある。従来は金融の力で資本を輸入して赤字を埋めてきたが、今後は資本輸入の有効な手段を失い、「双子の赤字」に苦悩するだけの純粋な債務国になる。日本は世界第一位の債権国で、国内に競争力のある製造業もあるが、財政赤字は800兆円を超えていて、民間貯蓄があるおかげで国債の発行と償還を賄えている。また、食糧原材料エネルギー資源の輸入大国でもあり、日本経済を従来の型で成長させる条件は失われ、現に26年ぶりに貿易赤字となった。経済のモデルを変えないと債権国の地位も危うい。欧州は日本のような財政赤字もなく、米国のような経常収支の赤字もないが、民間貯蓄がなく、製造業の輸出競争力もない。経常黒字を貯めて債権国となる条件を持たない。中国だけが経常黒字と財政黒字の条件を備え、製造業の輸出競争力を持ち、民間貯蓄を伸ばし、今後世界一の債権国の座を維持し続ける基礎的前提を持っている。経済学的にソロスの予言は正当で、中国が米国をリプレイスする。

ソロスが言っている「25年間アメリカが犯してきた過ち」という言葉も注目に値する。25年前は1983年である。この時期が大事だ。何があったか。まさにレーガノミックスの政策の絶頂期であり、レーガノミックスとサッチャリズムの新自由主義の旋風が世界に吹き荒れていた時代である。このとき、新自由主義は世界の支配的イデオロギーとなり、以後の25年間の地上を支配して君臨する。ソロスの言葉は新自由主義批判である。新自由主義で一代を築いて時代の寵児となりながら、知性と内省で新自由主義を批判する。矛盾しているのだ。大いなる自己矛盾をこの男は内側に抱えている。レーガノミックスの政策に理論的根拠を与えたのはマネタリズムと呼ばれるフリードマンの経済理論であった。財政による均衡の有効性を否定し、通貨供給の調整で経済の成長と均衡を達成を説いたマネタリストの理論は、別名「供給の経済学」とも呼ばれる。レーガノミックスとマネタリズムの関連について、それを簡明に説明するのは難しいが、注目すべきは、やはり吉川元忠が指摘しているように、このときから米国が自国の経常赤字累積に目を瞑る方向に舵を切り、それを日本マネーによるドル債券購入の資本輸入で埋める構造が出来上がったことであろう。

経常赤字がどれだけ増えても、米国経済に資本(マネー)が流入する量が増えれば、景気を拡大して成長と均衡を達成できる。その資金がドルの拡大と循環ならば、ドルの地位は不安定にはならない。当時、日本では米国の「双子の赤字」をめぐって論壇で真剣な分析と論議がされていた。80年代前半、日本の経済学が生きていた最後の時代だったと思われる。中央公論をよく買って読んでいた記憶があるが、誰がどんな論文を書いていたのかは覚えていない。このままでは米国経済は没落すると予想した経済学者が多かった。吉川元忠によると、この当時から、実は実体経済の意味を相対的に縮小させるマネー経済の膨張が急速な勢いで始まっていて、為替取引総量に占める貿易決済は全体の1%ほどに低下し、為替取引の殆どが投機目的のディーリングになり、マネー経済こそが経済の主役になっている実情があった(P.41-43)。だから、米国は貿易収支を無視して資本収支に軸を置くマネー政策(通貨供給政策)に切り替えたのであり、そのようなマネー経済を現出させたのは、金と基軸通貨ドルとのリンクを外した変動相場制への移行であり、資本取引の自由化や外為取引における実需原則の撤廃だった。いわゆる金融のグローバル化の原点はこの時期の制度改訂に見つけられる。

円とドルの金利差に着目すれば、この時期からすでに四半世紀が経つが、おそらく一度も円がドルの金利より高くなった局面はない。協調によって円は常にドルより低く金利が抑えられ、日本の円がドルに還流して米国に資本流入する構図に揺らぎはなかった。マネーで経済を運営する方法は25年間の米国経済の繁栄を齎し、奴隷のように汗水を流してドルに奉仕する円の性格を決定づけ、マネー経済における日本は米国の付属物の姿になる。米国はマネーの流れさえ巧く維持すればよく、あとは市場に任せ、量的に急膨張するドルマネーの支配を世界の隅々に押し広げればよかった。レーガノミックスの路線は、民主党のクリントン政権になっても踏襲され、踏襲されただけでなく、むしろ米国の21世紀の繁栄は金融産業によって齎されるという思想が政策に取り込まれ、新自由主義路線が意識的に方針化される。銀行と証券の垣根を取り払う金融自由化もクリントン政権によって法制化された。米国の対日貿易赤字は増え続け、一向に減らずに巨額なまま累積したが、80年代後半にはあれだけ大騒ぎして、東芝のラジカセをドラム缶の上に置いてハンマーで叩き割る所業まで犯しながら、90年代後半からは何も言わなくなり、不良債権処理に苦しむ日本を蔑視して、構造協議と年次改革要望書でハゲタカに屍肉を啄ばませるのみだった。

80年代に米国の経済政策の主流になるマネタリストも、70年代は野党で政府を批判する立場だった。マネタリストが野党のときに経済政策で与党だったのはケインジアンであり、その代表的論者はガルブレイスである。ハーバード学派の民主党の政策的重鎮。『不確実性の時代』という本が78年に出て、日本でもベストセラーになった。最近、新聞を読むとやたらにフリードマンが出てくるが、ケインズ主義者のガルブレイスは忘れ去られた存在になっている。ガルブレイスが死んだのは2年前だが、もっと長い年月が経っている錯覚に捉われるのは、新自由主義全盛の時代の中でケインズ主義が過去のものになっていたからだろう。『不確実性の時代』は、現実経済を論じたエコノミクスではなく、過去の経済学者の理論と人生をレビューした経済学史の本だった。経済学史ではあるが、内容が平易で、理論よりも人物の歴史像に関心が置かれていて、一般読者には読みやすい作品だった印象がある。ケインジアンが主流の時代は米ソ冷戦の真っ只中であり、ガルブレイスが発信するメッセージは常に同じだった。社会主義のソ連も資本主義の米国も、同じような官僚行政で同じような問題に対処し、環境問題のような新しい問題に直面し、その過程で似たような国家と経済のシステムに収斂する。両者の違いは埋められ、相互に平和共存するのが当然の時代になる。
この主張は、東西冷戦の時代の中で生まれ育ち、自国の中に冷戦の政治対立が持ち込まれていた日本で、これから大人として生きて行こうとする私にとっては、マイルドでコンフォタブルなメッセージであり、米国に対する安心感を持ち得る知識人の議論だった。