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本と映画と政治の批評
by thessalonike5


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石原慎太郎『NOと言える日本経済』 - 十年前の右側の説得力
石原慎太郎『NOと言える日本経済』 - 十年前の右側の説得力_b0090336_1351614.jpg十年一日。10年前の秋も、日本中が金融危機で揺れ、ニュースは経済問題で埋まり、本屋では経済の本が店頭に積み置かれて売れていた。石原慎太郎著の『宣戦布告「NO」と言える日本経済』(光文社)が出版されたのも、1998年の9月25日で、吉川元忠の『マネー敗戦』と同じ時期だった。経済学の本ではないが、『マネー敗戦』の視角とほぼ同一の経済認識と経済政策が示された本であり、当時はそれなりに注目を集めて読まれていた印象がある。石原慎太郎が東京都知事選に出馬するのが翌年の3月で、この本の出版はそうした政治的な行動計画を踏まえた戦略的な布石でもあった。この98年秋から99年春までの半年間が、おそらく石原慎太郎が最も国民的人気を博し、日本の危機を突破するカリスマ的指導者として広範な期待を集めた瞬間だった。バブル崩壊から7年、不良債権問題が重くのしかかった日本は出口の見えない不況の泥沼で喘ぎ、時代は「強い指導者」の出現を渇望していて、その空気はそのまま2001年の「小泉人気」に真っすぐ繋がって行く。 



石原慎太郎『NOと言える日本経済』 - 十年前の右側の説得力_b0090336_1353744.jpgこのとき、日本の金融機関の破綻と再編は地響きをたてて始まっていて、いわゆる「金融ビッグバン」が宣揚される中で、不良債権のために潰れかかった日本の金融機関に米国資本が触手を伸ばしていた。98年の秋の時点で、すでにゴールドマンが安田信託の不動産を買い、GEキャピタルが東邦生命を傘下に入れ、トラベラーズ(現シティG)が日興証券を傘下に入れていて、破綻した旧山一證券はメリルに引き取られていた。デリバティブの取引も始まっていて、「金融技術」の進歩に日本の「護送船団」が乗り遅れたことが悲観されていた。新しい「金融技術」の駆使によってマネー経済が実体経済を離れて膨張する運動はすでに始まっていて、ヘッジファンドが暗躍し、アジアの諸国に通貨危機を惹き起こさせて経済を混乱に陥れていた。アジア通貨危機は同時並行の出来事だった。10年後に至る道は10年前に原型が出来上がっていた。そしてそれに対する批判や日本経済の対応策も議論が上がっていた。石原慎太郎の状況認識は吉川元忠と同じであり、対応策も基本的に同じである。

石原慎太郎『NOと言える日本経済』 - 十年前の右側の説得力_b0090336_1354787.jpg石原慎太郎は、米金融資本からの円の防衛と反撃について次のような具体策を提起している。①大東亜強円圏を作ること、②米国債を売ってユーロシフトを図ること、③東アジアファンドを設立すること、④超低金利を脱して金利を上げること。「大東亜強円圏」という言葉は不穏当で、いかにも右翼の石原慎太郎らしい表現だが、基本的に①-④の中身は私が現在主張している内容と同じであり、経済思想のレベルで目的も方向も共通している。10年前の当時であれば、東アジア共通通貨よりも円圏拡大の方が合理的であったかも知れない。中国は現在のような世界経済の巨人ではなかった。普通に考えれば、誰でも①-④のような経済政策の提唱になる。現実には、日本が選択した方向は全く逆で、金利は超低金利からゼロ金利に移され、日銀は米財務省の管轄下に入り、米国債漬けは麻薬中毒のように慢性化して誰も異状を言わなくなる。石原慎太郎が本で訴えた主張は、このように反米で反新自由主義の性格が明瞭な提言であり、米国に対して敵意を露わにした表現が満載で、反米ナショナリズムを訴求するものだった。

石原慎太郎『NOと言える日本経済』 - 十年前の右側の説得力_b0090336_1355882.jpg石原慎太郎が都知事選で掲げた政策の第一が、横田基地返還であった事実を覚えている者は多いだろう。ところが、都知事に就任した石原慎太郎が実際の政策で実行したことは、①シルバーパス全面有料化、②寝たきり高齢者への老人福祉手当の削減、③障害者医療費助成の縮小、④特別擁護老人ホームへの補助削減、⑤難病医療費助成の対象からの慢性肝炎の除外、等々、徹底的な福祉切り捨ての断行であり、財政再建を理由にして、都の社会保障の制度と事業をひたすら破壊し消滅させる冷酷な新自由主義政策の数々だった。これらは、まず東京都で実施され、そして神奈川県や横浜市など(民主党出身の)新自由主義知事のいる地方で採用され、そして小泉改革で「聖域なき構造改革」として国家の政策となるものである。血も凍るような福祉削減の酷薄行政は、石原都政が全国に先行して範を示した。2000年から2002年の時期だろうか。石原都政こそ小泉改革政治の原型である。ところが、東京都民はなぜかそれを熱狂的に支持し、2003年の2期目の選挙では史上最高の得票率で圧勝している。右翼で新自由主義の突出した指導者の君臨となった。

石原慎太郎『NOと言える日本経済』 - 十年前の右側の説得力_b0090336_136786.jpgこの頃から、石原慎太郎は反米ナショナリストの仮面を脱ぎ捨て、真性右翼の本性を全面開花させて、野蛮で激越な恫喝と暴言三昧の日々に狂い漬ることになる。反米言動は影を潜め、暴言の矛先は専ら共産中国に向けられた。それから長い時間が経過したため、われわれは石原慎太郎の1998年当時の反米ナショナリズムと経済独立アジテーションを忘れがちになってしまう。だが、10年前のこの事実を現在の視点から捉え直すことが思想的に重要なのだと私は思う。石原慎太郎の反米ナショナリズムは口先だけの嘘であり、経済独立論も人気取りの口上に過ぎなかった。しかしながら、当時の論壇を眺めると、右翼の側がまさに反米ナショナリズムの気炎を上げ、日本経済の対米独立を叫び、経済苦で喘ぐ国民大衆から支持を獲得していたのである。小林よしのりや西部邁や西尾幹二がそうだった。彼らの反米ナショナリズムは、その米国に「戦後の占領政策で魂を抜き取られた日本」への批判となり、戦後民主主義と日本国憲法批判とセットになり、巧妙なレトリックで構造化された説得力になっていたが、当時の論壇を席巻し、本屋の売場を占領し、日本の世論をその方向で束にすることに成功した。

石原慎太郎『NOと言える日本経済』 - 十年前の右側の説得力_b0090336_1361868.jpg10年前、現実の経済危機に対する感性と認識において、右側の方が状況を鋭く受け止め、問題の捕捉が正確であり、対応策においても社会科学的な説得力が旺盛だった。左側には危機に対して社会科学的に対応する論壇がなく、それを期待されたアカデミーは、米国資本による日本侵略にも無頓着で不感症であり、全く関心を払っていなかった。左側(岩波系)のアカデミーは何をしていたかと言うと、脱構築主義の神への奉仕に夢中であり、毎日毎日、「反近代」と「反国民」の経文を唱え、近代主義と国民主義を撲滅するために、死んだばかりの大塚久雄と丸山真男に唾を吐き石を投げていた。彼らの関心は一にも二にも脱構築であり、アカデミーを脱構築教の神殿にして浄めることであり、「近代知の解体脱構築」のために血道を上げ、だから、米国資本による侵略や新自由主義の跳梁には何の痛痒も感じることはなかったのだ。ジェンダーとマイノリティと言っていれば、それで日本社会の問題は全てかたづいた。国民大衆が左側のアカデミーの言論能力を疑い、左側の社会科学の説得力を疑ったのは無理もない。左側は経済や国民の生活に関心が無かった。山之内靖、酒井直樹、子安宣邦、姜尚中、上野千鶴子、小熊英二。

石原慎太郎『NOと言える日本経済』 - 十年前の右側の説得力_b0090336_1362847.jpg左側(岩波アカデミー)の脱構築言説は、単に思想オタクが趣味で遊興するための薀蓄玩具となり、現実の社会問題や経済問題に対応する有効な社会科学の実質と性格を失い、そのため、一般大衆は現実問題に向き合ってメッセージを届ける右側の説得力に包摂された。これが石原都政と小泉改革を媒介した日本の思想的真実である。左翼は社会に無関心だった。「保守のマジョリティ」は10年前に出来上がっている。戦後教育をそれなりに受け、戦後の教育課程の社会科を小中高校で受けてきた者たちが、なぜこれほど右傾化し、新自由主義を支持し、石原都政や小泉改革の靖国参拝や社会保障削減を熱狂的に支持する日本人になったのか。10年前、右翼の方が現実に対して社会科学的に対応し、大衆に向かって有効な情報発信をしていたからだ。「構造改革」という言葉が、本来は左側の言語であるにもかかわらず、それを右側に奪われて、新自由主義のシンボルに置き換えられてしまった問題についても、こうした点に真相があるように思われてならない。石原慎太郎と小泉純一郎はラディカルな社会変革の指導者として自己を演出したのであり、共産党や社民党が旧態依然たる顔と看板とメッセージで組織の保身に汲々としていたコンサバティズムとは対照的だった。

10年経ち、舞台は一回りして、新自由主義は経済的にも思想的にも没落しようとしているが、アカデミーが現実問題や国民生活に関心を失った状態は現在でも続いている。また、左側の脱構築の思想、すなわち近代主義否定と国民主義否定の言説が、戦後日本の達成であった終身雇用の日本型経営システムや国民国家による社会福祉制度を否定する論理的根拠を与え、戦後日本的な公共社会システム一切を否定する気分と思想的正当性を与えたことも忘れてはいけない。「総力戦体制の否定」という目標の下に、左の脱構築主義と右の新自由主義は見事に癒着し、左右共闘の連携作戦で、戦後日本のシステムを解体すべく襲いかかったのである。脱構築アカデミーの罪は本当に大きい。

石原慎太郎『NOと言える日本経済』 - 十年前の右側の説得力_b0090336_13143653.jpg

by thessalonike5 | 2008-10-16 23:30 | 世界金融危機
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