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本と映画と政治の批評
by thessalonike5


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吉川元忠『マネー敗戦』 - 資本輸入国が基軸通貨国となる矛盾
吉川元忠『マネー敗戦』 - 資本輸入国が基軸通貨国となる矛盾_b0090336_1224314.jpg文春新書が創刊されたのが、今からちょうど10年前の98年の10月で、その第1回配本の中で特に注目を集めた作品が、吉川元忠著の「マネー敗戦」だった。98年、日本は前年の山一・北拓破綻から続く金融危機の渦中にあり、不良債権処理の問題で苦悩していた。7月の参院選に敗北した橋本政権が退陣して小渕政権となり、宮沢喜一が「平成の高橋是清」と称して不良債権処理のために蔵相に就任、そして10月の金融国会で「政策新人類」が立ち回って金融再生法が成立、10月23日に長銀が国有化される(12月には日債銀も)。金融国会と長銀国有化のニュースが毎日のテレビ報道を埋めているとき、「マネー敗戦」は出版された。当時、吉川元忠は、雑誌などへの論文寄稿で少しは有名な存在だったが、それが「諸君」など右翼系雑誌に限られていたため、私は一度も読んだことがなかった。今回、どうしても読み返したくなり、最後まで一気に読み通した。私にとっては、宮崎義一の「複合不況」以降に現れた日本経済学の最高の書であり、その評価をあらためて確認した。



吉川元忠『マネー敗戦』 - 資本輸入国が基軸通貨国となる矛盾_b0090336_10105972.jpg政治的に右派の立場の経済学者のため、アカデミーの世界で一般的に評価されていない。だが、彼の経済学の方法は、講座派以来の日本の経済学の伝統を正しく継承するもので、再生産論的な構造把握の経済学である。宮崎義一もそうだ。この本がアカデミーでなぜ評価されないのか理解に苦しむ。80年代以降、日本の経済学では新自由主義が主流となり、岩波ブランドの吉川洋や本間正明などの官僚経済学者が新自由主義のイデオローグに化け、霞ヶ関の官僚たちを新自由主義に改宗させる教官役になっていた。左派の側は脱構築主義に溺れて遊び半分の経済社会学に崩れ果て、経済学の体を成さない悲惨な状態に落ちぶれていた。あの当時、日本ではクルーグマンが流行り、インフレ・ターゲット論の話題ばかりだったが、クルーグマンはミクロ経済学であり、ミクロ的方法での説明では危機にある日本経済を分析して再生へ導く説得力として不十分で、「流動性の罠」は軽薄なレトリックにしか見えなかった。マクロ的方法視角での日本経済論と国際金融論が求められていて、吉川元忠はその課題に答えていた。

吉川元忠『マネー敗戦』 - 資本輸入国が基軸通貨国となる矛盾_b0090336_1011934.jpg「マネー敗戦」で示されているのは構造である。矛盾を孕む構造が一望の下に捉えられ、その構造の運動と変容が論じられ、構造への政策の対応が数値的に説明され、国際経済がトータルでコンシステントな概念として読者に提供される。これほど概念的な経済理論はない。わかりやすいのだ。そして展望と政治的課題が示される。メッセージはクリアで、読者の誰もが同じ理解と感想を持つ。エコノミクスがエコノミクスとして終わらず、ポリティカル・エコノミーとして立ち上がる。まさに日本の経済学。戦前以来の高度で格調高い日本の経済学。この本は、1980年代前半から1990年代後半までの日本経済史でもある。プラザ合意から円高、バブルとバブル崩壊、日米構造協議、アジア通貨危機からBIS規制へと「マネー敗戦」の経過が書かれている。10年前の時点からその前の20年間を総括した経済理論であり、グローバルスタンダードが確立する入り口で筆が置かれていて、読み返して何とも感慨深いものがある。ワーキングプアや格差社会は出て来ない。10年前は無かったからだ。証券化商品や金融工学も出て来ない。中国の姿もない。ユーロは始まったばかり。

吉川元忠『マネー敗戦』 - 資本輸入国が基軸通貨国となる矛盾_b0090336_10112242.jpg「マネー敗戦」で捉えられている構造とは次のようなものだ。80年代前半、米国のマネー経済はレーガノミックスの下で急速な変貌を遂げ、経常収支が赤字となり、資本を輸入して赤字を埋めるようになる。世界一の債権国だった米国は一転して世界最大の債務国になり、その債務を穴埋めしたのは日本からの海外投資だった。本来、資本輸出国と資本輸入国との関係では、資本を輸出する側がその国の通貨建てで起債し、資本輸入国が発券した債券を輸出国の貯蓄超過分が吸収する。ドイツはそのようにして、ユーロ・マルクによる起債で資本輸入国の債券を発行させ、その債券をフランクフルト市場に上場させることを発券側に求めた。日本は、なぜか円建ての起債をせず、ドル建て債券である米国債の購入のみで資本輸出を続け、対外純資産をドルで貯めこみ、相次ぐ為替切り下げによって膨大な資産減価を余儀なくされた。日本が蓄積した経常黒字と対外純資産は為替変動で常に減価させられ、日本経済のデフレ圧力となり、デフレ圧力は輸出条件の円安ドル高を求め、円資金はドル債券に流れて米国経済に成長と繁栄を齎せた。米国は基軸通貨の魔術によって、日本から米国へ富の移転を自由自在に実現し、その構造を維持して成長と均衡を達成できた。

吉川元忠『マネー敗戦』 - 資本輸入国が基軸通貨国となる矛盾_b0090336_10113248.jpg資本輸出国が為替リスクを負うという本末転倒した不合理な構造。ドルを支えるために資産減価の自己犠牲を身を滅ぼすまで続ける円。これこそ「マネー敗戦」が告発する日米経済関係である。80年代前半に原型ができたこの構造を米国はずっと保守保全し、「マネー敗戦」後の21世紀まで持続、さらにその構造の中に中国をも組み込み、今度の金融バブルにまで至る。それを見ながら、吉川元忠は2005年の10月25日に死んだ。生きていれば、この金融危機と米国のバブル崩壊を見てどう思っただろう。吉川元忠は不思議な人物で、経済学の方法は、ケネー・マルクス・講座派を彷彿とさせる正統なポリティカル・エコノミーであるにもかかわらず、政治的には右派の論客であり、テレビ東京の渡辺昇一の右翼番組などに顔を出していた。経済学的にはきわめて鮮明に矛盾を描き出しながら、矛盾の要因について、単に政策当局の失敗としか言わず、問題が終戦以来の日本の対米従属にある点まで掘り下げず、したがって本質的な問題解明の議論にならず、政策的課題も中途半端な提起と結論に終わっていた。そして、右側からこのような優秀な経済学者が出現し、左側(岩波系)は滅茶苦茶で、脱構築主義の言葉遊びと新自由主義で終始一貫している状況が私にはミステリアスだった。

吉川元忠『マネー敗戦』 - 資本輸入国が基軸通貨国となる矛盾_b0090336_1011423.jpg構造と矛盾で示す経済学。概念と運動で示す経済学。そういう方法を見せてくれたのは、少なくとも私にとっては、80年代の宮崎義一と90年代の吉川元忠だけで、その後は誰もいない。「マネー敗戦」を読みながら思ったもう一つのことは、戦後世界経済史という問題で、戦後世界経済史の標準的な教科書ができたとき、その教科書のページの半分は日本の記述で覆われるのではないかという感想だった。例えば、戦後世界政治史という教科書があれば、その記述は、やはり米ソ冷戦の問題が中心で、主役は米国とソ連であり、ソ連に関するページ数が多くなることだろう。戦後世界経済史の場合は、日本の比重が信じられないくらい大きくなる。米国と日本の関係史そのものが戦後世界経済史になる。大学で経済史を学んだとき、その内容は欧州経済史で、14世紀から19世紀までの英国が中心で、英国の産業革命がハイライトだった。その中身はいわゆる大塚史学であり、岩波の「西洋経済史講座」の要約版が教官によって講義されていた。50年後とか100年後の世界の大学の学生は、われわれが英国の経済史を学んだように、日米の戦後の経済関係史を学んでいるに違いない。戦後の日本人は本当に大きな事をしている。もう少し、それに光を当てる日本の経済学者がいてもいいはずだ。

それにしても、古典というものは古くならない。常に新しい。常に新しく、読者に知識を提供して啓発してくれる。「マネー敗戦」の一読をお勧めする。十年一日という言葉がある。その言葉を噛み締めて立ち尽くす。

吉川元忠『マネー敗戦』 - 資本輸入国が基軸通貨国となる矛盾_b0090336_10115241.jpg

by thessalonike5 | 2008-10-15 23:30 | 世界金融危機
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