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本と映画と政治の批評
by thessalonike5


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不良債権処理の認識を誤っている米国 - 新自由主義と日本蔑視
不良債権処理の認識を誤っている米国 - 新自由主義と日本蔑視_b0090336_9563815.jpg10/9のNYSEがまた暴落、678ドルも下げて9000ドルを割った。終値は5年5か月ぶりの安値の8579ドル。これで7日連続の下落。昨夜のニュースで、ポールソンが金融機関に公的資金を注入する内容の記者会見をしている映像があり、このアナウンス効果で市場は落ち着きを取り戻すのではないかと予想されていたが、相場は逆の動きに出て、10日前の9/29の777ドルに匹敵する幅の大暴落となった。市場は人智の及ばぬ魔界の領域に踏み込んだ感があり、誰も次の展開を予測できない。田中宇が最新記事で書いていたように、7000億ドルの不良債権買取や公的資金注入では手当てが足りず、市場がそれを織り込み済みで、政府の対策に期待を持てないままズルズル下げているとしか説明できない。10/8の日経の記事(4面)に出ていた田幡直樹の話によると、金融安定化法の買取の対象となる米金融機関の不良債権は簿価総額で12兆ドルあり、7000億ドルではその6%にしかならない。米時間の10/10朝、日本時間の夜10時ごろ、市場が開く前に、また大統領の緊急演説があり、公的資金注入を発表するだろう。



不良債権処理の認識を誤っている米国 - 新自由主義と日本蔑視_b0090336_9565624.jpg田幡直樹も懸念して言っているが、米国は日本が10年かかってやった不良債権処理を数週間の短期で拙速にやろうとしているように見える。これは非常に危険なオペで、逆に恐慌を誘発する危険性が高い。米国の政府や議会や市場関係者の間に、「日本は不良債権の処理が遅れたから不況が長引いた」という誤った認識があるように思われる。これは、単に米国だけでなく、日本国民自身もその観念でマインドコントロールされていて、何も手術や治療をせぬまま7年以上放置して症状が悪化していたのを、2003年の竹中平蔵の強制的資本注入で一気に問題が解決されたのだという神話を信じこまされている。竹中平蔵が不良債権処理の英雄になっている。この認識は大きな間違いで、実際には日本は時間をかけて不良債権を処理して行ったのである。「時間をかけて処理する」というのは、政府が無理な外科手術をせず、自然治癒の療法で傷を治し体力を戻したということだ。無論、それは銀行が節制と倹約の自助努力で解決したのではない。日本の国民が処理したのである。日本国民の10年間の犠牲で不良債権は銀行帳簿から消えた。

不良債権処理の認識を誤っている米国 - 新自由主義と日本蔑視_b0090336_9571415.jpg日本国民は何をしたのか。①中小零細企業が貸し渋りと貸し剥がしに遭い、銀行の身代わりに倒産させられた。②超低金利からゼロ金利を耐えさせられ、庶民の得べかりし貯金や退職金の金利差益を銀行に没収された。③大銀行に法外な免税特権が与えられ、国家は財政赤字となり、庶民が負担を背負わされた。ずっと昔、まだ嶌信彦が解説者をやっていた頃のTBS「ブロードキャスター」で、福留功男が、「端末機の前であんな面倒くさい手間をかけさせられて、手数料を欲しいのはこっちの方ですよね」と言っていたのを思い出す。正論だった。政治的には自民党べったりで右派で新自由主義の宣伝屋だった福留功男だったが、銀行に対してだけは他のマスコミ論者より厳しく、庶民の感覚を番組で代弁していた。「ブロードキャスター」の17年は、バブル崩壊から新自由主義の時代そのものである。この①-③によって銀行の不良債権は年々処理されて行き、銀行は破綻を免れたのである。この日本の銀行の不良債権処理を事実上指揮して、時間をかけて国民から富を移転する形で救済したのは、その指導者は宮沢喜一である。アイディアもプランも宮沢喜一のもので、宮沢喜一らしい個性が政策に漂っている。黙ってやるということだ。

不良債権処理の認識を誤っている米国 - 新自由主義と日本蔑視_b0090336_9572955.jpg国民に説明しない。説明すれば反発を喰らうのは目に見えているから、騙し騙し静かにそっとやる。国民を犠牲にすること、時間をかけること、この二つの柱で宮沢喜一は結果的に日本の不良債権問題を解決した。だが、本人が言挙げしなかったから、功罪含めて名前は残っていない。その後の新自由主義の宣伝によって、不良債権問題を解決したのは竹中平蔵で、だらだらと放置したのが宮沢喜一だというストーリーになっている。それは新自由主義の側の作り話である。不良債権処理を指導したのは宮沢喜一であり、実際に処理をしたのは日本の国民である。処理とはカネを銀行に貢ぎ続けることだ。何年も何年も、現在に至るまで、庶民は血と汗を流して稼いだカネを銀行に貢ぎ続けてきた。①-③は不良債権処理が終わった現在でも制度定着して、日本の銀行に巨万の富をうならせ、カネが余り過ぎた三菱UFJは気前よく9000億円をモルスタにくれてやった。我慢強い日本国民は立派と言うほかない。日本の場合、銀行の不良債権の処理は、積み上げた庶民のカネを引当にして積み上げ、銀行会計から徐々に償却して行ったのであり、庶民のカネの積み上げには時間がかかり、結局のところ10年以上を費やす始末となったのである。それが「失われた10年」の真相だ。

不良債権処理の認識を誤っている米国 - 新自由主義と日本蔑視_b0090336_9574580.jpg日本政府は何もやらなかったわけではない。98年頃だったか、政治の表の舞台では、石原伸晃や塩崎恭久や枝野幸男が「政策新人類」などと称して派手に立ち回り、やれ国有だ、やれ民主党案丸のみだと騒ぎながらドタバタと金融危機に対応していたように見えたが、実際には金融政策の実権を握り続けていたのは大蔵省と宮沢喜一だった。宮沢喜一は個々の銀行の不良債権金額と中身について絶対に口を割らなかったし、大手都銀分で纏めた金額だけを適当にマスコミに流すのみで、現実の処理は①-③の大衆収奪による救済策で徹していた。まさに護送船団方式が貫徹されていた。現在の米国は、この日本の不良債権処理の真相を知らず、早く手を打てば早く問題が解決すると錯覚しているように見える。この点を田幡直樹は懸念しているわけだが、私もそれに同感である。新自由主義のイデオロギーに毒された不良債権認識を当局や国民や関係者が持っていて、「日本は対策が遅かったから解決が遅れた」と誤った判断をベースに政策をドライブしようとしている。それは根本的な間違いで、「あの日本でも10年以上かかった」というのが正解なのである。不良債権処理は庶民大衆から収奪する以外に解決策はないのだ。「日本の二の舞になるな」という発想は誤りで、日本の二の舞ができれば御の字なのである。

不良債権処理の認識を誤っている米国 - 新自由主義と日本蔑視_b0090336_11535812.jpgこの米国の不良債権処理認識、すなわち日本の経験に対する不当な評価の根底には、拭いがたい日本蔑視の観念がある。自分たちは経済に優秀で、日本人は経済に無知だから、だから日本は失敗し、米国は失敗しないのだという根拠のない倒錯した優越感がある。この15年間、米国は、日本経済の失敗と米国経済の成功を繰り返し言い上げ、日本型の経済モデルの全面否定を主張し続けてきた。90年代以降の新自由主義のイデオロギーの基底には、社会主義否定と同時に日本否定の思想があり、それを日本人の内面に強力に刷り込み、日本人の自信喪失を誘引し蔓延させようとする意図が見られた。それは、1987年に東芝のラジカセをドラム缶の上に置いてハンマーで叩き壊した米国の自信喪失体験と表裏一体のものであるはずだ。新自由主義にとっての仮想敵国は日本経済であり、仮想敵国を破壊する策略が日米構造協議であり、「年次改革要望書」のイニシアティブに他ならなかった。新自由主義の経営思想の特徴である短期利益の獰猛な追求や意思決定のスピード競争やパラノイア型経営者という範疇は、戦後日本の成功体験である日本型経営思想を否定するところから招来されている疑いがあり、意識的にその逆を規範化しているように見える。その思想が、今度の米国の不良債権処理にも大きく動機づけされている。

不良債権処理の認識を誤っている米国 - 新自由主義と日本蔑視_b0090336_16434647.jpg日本蔑視の経済政策の選択は必ず米国を破滅へと導くだろう。10/8の日経の1面にFRBが一般企業のCP(コマーシャルペーパー)を購入する制度を創設した記事が載っていた。田中宇も「前代未聞の施策」だと評しているが、私もこのニュースには本当に驚かされた。米国の金融機関による貸し渋りが激しくなり、企業がCPを発行して資金調達することができなくなっているのである。やむなく中央銀行であるFRBが企業のCPを直接に引き受ける事態に及んだ。こんな経験は日本ではない。想像することもできない。記事を見て最初に思ったのは、事務のことで、FRBの限られた職員で全米の企業のCP発行を引き受ける事務的体制があるのだろうかという疑念だった。新聞記事では来年4月までの半年間の臨時措置だとある。半年間、FRBの職員は個別企業のCP購入依頼を受け付け、短期の資金を貸し出し、満期になればまた借り換えに対応する金融事務に忙殺されることになる。ハーバードを優秀な成績で卒業して、世界のドル政策を切り回すデスクワークを担当してきたFRBのエリートに、そんな企業相手の融資実務に手を汚すことなど本当にできるのだろうか。東大経卒の日本銀行の職員が大田区の中小企業の金型メーカーの社長と毎日資金のやりとりをする図と同じである。半年後に米短期金融市場の凍結状態が解けなければ、2年も3年も同じ仕事を続けなければならない。

不良債権処理の認識を誤っている米国 - 新自由主義と日本蔑視_b0090336_1817227.jpgこの事態は、別角度から見れば、まさに米国経済の社会主義化である。金融セクターだけでなく、国のあらゆる産業部門が国有化されたと同じことだ。FRBによる企業のCP購入がどれほどテンポラリーな市中銀行の肩代わりだと言っても、投入される資金は赤字国債でファイナンスされた米国民の税金であり、よもやめくら判でCP購入の決済など許されるはずがない。当然、当該企業のバランスシートをチェックしなければならないし、経理の役員を呼んで事情を聴取する必要があるだろうし、場合によっては現地に出張して工場の設備を視察したり、倉庫の在庫を確認したりする必要があるだろう。市中銀行の担当者が日常業務でやっていることである。FRBの職員がこれをやるということは、かつてのソビエトでモスクワのゴスプラン(国家計画委員会)の官僚が、ドニエストル州で釘を何本生産、ハバロフスク州でスコップを何個生産と、国家のあらゆる生産について膨大で詳細な投入算出表を作成し、各州の共産党官僚に示達していた仕事のやり方と本質的に変わりない。すなわち、社会主義国の経済官僚の業務である。FRBにCPを購入してもらう企業にとって、その資金は原材料の購入代金や従業員の賃金や工場の操業資金なのだが、それとて畏れ多くも神聖な米国民の税金であり、間違っても経営者の株投資や役員賞与などに振り向けることは許されず、まさに資金は清く正しく申告どおり「計画経済」的に使われざるを得ない。

米国FRBの金融エリートはソ連ゴスプランの経済官僚になる。

不良債権処理の認識を誤っている米国 - 新自由主義と日本蔑視_b0090336_958370.jpg

by thessalonike5 | 2008-10-10 23:30 | 世界金融危機
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