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本と映画と政治の批評
by thessalonike5


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広島 - 日本語の素晴らしさを再認識させてくれた「平和への誓い」
広島 - 日本語の素晴らしさを再認識させてくれた「平和への誓い」_b0090336_10533939.jpg平和記念式典での「平和への誓い」が素晴らしく、二人の小学生の言葉にとても感動させられた。それは、語られた誓いの中身もさることながら、張りと響きのある格調高い日本語の再発見の感動だった。もし、私が、遠い欧州かアフリカの国から初めて広島にやって来た式典参列者であったなら、あの二人の発するスピーチを聞いて、日本語ってこんなに躍動感と訴求力のあるコンプリートな言語だったのかと知って驚いたかも知れない。何を言っているか意味は分からなくても、その音韻とリズムに聞き入って、日本語の言葉の個性を積極的に感じ取り、印象を深く刻んだのではないかと思われる。そこにはまさに、ネーション・ステート(近代国民国家)を構築、達成しているエクセレントな民族のハイレベルな言語(国語)がある。欧米から遠く離れたアジアの国でありながら、高度な科学技術の文明国家を独自に築き上げ、その工業製品は世界中の人々を魅了している世界第2位の経済大国。その国のナショナル・ラングエッジはこれだったのかと、思いを新たにしたに違いない。 



広島 - 日本語の素晴らしさを再認識させてくれた「平和への誓い」_b0090336_10512954.jpg骨格と気品のある言語。フニャフニャとした軟体動物のような言語ではなく、理性の存在と知性の水準を感じさせる言語。最近の日本語は、ゴニョゴニョボソボソと日本人の口から出る卑弱で瑣末な言語になっていて、それを颯爽と美しく格調高く語り上げる日本人を見る機会がない。日本人が日本語に自信を失っていて、何だかわけのわからない奇妙で存在感のない言語に成り果てている。正規の表の言語(オフィシャル・ラングエッジ)ではなく、裏の言語になっている。無理もないと言うべきか、企業でも、役所でも、業務上のドキュメントは英語のものが日々多くなり、重要度の高い文書ほど英語であり、会議に外国人のカスタマーやカウンターパートが入ると英語になる。重要度の高い会議ほど英語になる。それをこなせる人間でないと出世できない。日本語は日本人の仕事の中で価値の薄い言語になりつつあり、日本人だけがプライベートな空間でコミュニケーションに使う言語になりつつある。日本語が伸びやかに活躍する場を失い、存在意義を見失い、自己卑下的になって萎縮させられている。

広島 - 日本語の素晴らしさを再認識させてくれた「平和への誓い」_b0090336_10454338.jpg例えば、首相や政府高官が外国人の前で日本語を披露するとき、そこには抑揚や音感の張りがなく、言語の彫りの深さや格調の高さが感じられない。だから外国人のプレスやパーティシパントも、耳に入る語韻に興味を惹くことなく、ただのバルバロイが流れているだけで、耳を傾ける意味を感じないのである。配布された英語のペーパーに目を落とすだけだ。例をよく挙げられないが、例えばゴルバチョフは、彼は英語はできなかったが、彼がスピーチするロシア語には、意味は分からなかったが聴く価値が感じられた。演説の中で、よく「カトーレ」という発音の単語が出てきた。ロシア語など何も知らなかったが、これは country のことだろうかと思いながら聞いていたものだ。そして、古の伝説になっているレーニンやトロツキーの演説を想像した。例えば、フランス語は大人の男と女が愛を囁き合うのに適した言語だと言われていて、ドイツ語は人が神と厳粛に語り合うのに適した言語だと言われている。ロシア語は、きっと人が政治闘争の演説をするのに適した言語で、だからロシア人の政治は大型で激烈になるのだろうかと思ったりもした。

広島 - 日本語の素晴らしさを再認識させてくれた「平和への誓い」_b0090336_1119783.jpg平和記念式典の二人の小学生の「平和への誓い」は、誇り高く格調高い日本語を思い出させてくれた。この国語文化は戦後日本のものだ。例えば、日本国憲法の前文は、あの二人の小学生のような凛々しい音調で読み上げなくてはいけない。と言うよりも、日本国憲法の前文を読むと、あの二人が発声したような、伸びと響きのある日本語の音韻が瑞々しく甦ってくるのであり、戦後民主主義の日本の国語文化を彷彿とさせるのである。われわれが小中学生の頃、国語の教科書に載っている小説文や随筆文を授業で朗読させられたとき、確かに教師はそのように生徒を指導した。文章を音読する際のアクセントとイントネーションを指導した。読み方の上手な子と下手な子がいた。棒読みは駄目で、ドラマとストーリーとメッセージをよくガイドする読み方、緊張と弛緩、強調と静寂、弾みと流れのある日本語の文章の読み方が教育された。広島で戦後教育の伝統が継承されている。教育が生きている。学校現場で継承されている広島の平和教育は、まさに戦後日本の国語教育の思想がインボルブされた平和教育であること、このことを強く実感する。素晴らしい。

広島 - 日本語の素晴らしさを再認識させてくれた「平和への誓い」_b0090336_11221327.jpgだから、われわれが平和を語るときは、平和を語るにふさわしい日本語(戦後日本の国語)で語らなければいけない。フランス語が大人の愛を囁く言語であり、ドイツ語が人が神と対話する言語であるのなら、日本語は人が平和を誓う言語であり、そのように日本人が日本語を自覚し、世界の人々に発信して認識させるべきなのだ。二人の「平和への誓い」はそのことを私に教えてくれた。私は3年前のブログの記事で、総理大臣挨拶の原稿文面を棒読みした小泉純一郎の無礼を非難している。同じことを中国新聞が感じたらしく、3年前の8/7(式典翌日)の社説で小泉純一郎の棒読みの態度を厳しく批判していた。「平和宣言」や「平和への誓い」や「平和記念式典の政府代表の挨拶」は、ただ活字にした文章だけが中身として問題なのではない。活字で書面にあるものが本当の姿ではない。人間の口から発せられて実体を持つ。それをどう読み上げるか、どのような発声と音調で聴く者の耳に届かせるかが、文書化された内容以上に重要なのである。メッセージとは活字のことではない。平和の訴えや誓いは、目から脳へスタティックに伝える情報ではなく、耳から心にダイナミックに届ける情念だ。

広島 - 日本語の素晴らしさを再認識させてくれた「平和への誓い」_b0090336_11194155.jpg今回、式典への各国来賓の出席は過去最多の55か国を数えた。初めて中国の領事も出席した。昨年が42か国、一昨年が35か国、年々出席国の数が増えている。秋葉市長は「平和宣言」の中で、「核兵器の廃絶を求める私たちが多数派である」ことを高らかに謳い上げたが、55カ国の来賓の事実と増加のペースは、まさに「多数派」の自信を裏付けるもので、来年はさらに増えるだろうし、今後は出席しない国の方が少数派になるだろう。核廃絶に不熱心な国として格好が悪くなり、各国外務省は在日大使館にヒロシマ式典出席を指示するようになる。ブログで記事を書き始めて分かったが、私が想像していたよりもずっと大量の情報が広島に来た外国のプレスから発信され、8/6のニュースがネットの世界を駆け巡っていた。関心が高い。そして年を追う毎に高まっている。世界政治は、残念ながら、核保有国が増え、超大国の核先制使用が公然と言われ、核拡散に歯止めがかからない状態になっているけれども、まさに逆説的に、核廃絶の象徴であるヒロシマに世界の視線が集まり、核被害の実像が世界に周知されつつある。不屈の努力で世界を動かし、運動をここまで導いてきた広島と長崎の人々に心から敬意を表する。

広島 - 日本語の素晴らしさを再認識させてくれた「平和への誓い」_b0090336_11201527.jpg思えば、私自身が小学生だった頃よりも、現在の小学生の方が原爆について豊かで確かな知識を持っている。その少なくない貢献は中沢啓治の『はだしのゲン』によるものだろう。この数十年間に、漫画や映画の世界で、作家たちの手で核廃絶の文化が産み出されて大きな森になった感がある。私はと言えば、もっぱら年に一度のNHKの特集番組を見せてもらって、原爆についての知識や情報を得て、そのおかげで関心が薄れて行くことはなかった。原爆投下の歴史や原爆の人体被害については、今後、まだまだ新しい情報が出てくる予感があり、そのことが世界と日本の核廃絶の関心を刺激し、運動に影響を与えるのではないかと想像する。映画や漫画や小説の文化の分野でも、さらに若い才能による新しい創作の試みが続くだろう。テレビ朝日の報道番組に出演した中沢啓治が次のように言っていた。「火箸に指を触れるとやけどしてぷくっとなるでしょう。あんなもんじゃなくてね、5000度の熱線に焼かれると、人間は腕の皮膚が肩からペロッと剥けて落ちて、爪のところで止まるんですよ。だから腕の皮膚を手の爪先で垂れ下げた人が大勢歩いているんです。よく、阿鼻叫喚の悲鳴とか泣き叫ぶ声とか言うでしょう。違うんですよ。痛いから何も声が出ないんです」

僕が覚えているのは沈黙の世界で、黒煙が立ち上る中で人はとても静かでした。ガラスの破片が顔や腕にいっぱい刺さって、皆、それを黙って自分で抜いているんです。痛いから、痛くてたまらないから、声なんか出そうにも出ないんですよ」
広島 - 日本語の素晴らしさを再認識させてくれた「平和への誓い」_b0090336_11414236.jpg

【世に倦む日日の百曲巡礼】

今日の一曲は、2000年の エンヤ『Only Time』 を。

久米宏が大好きで、ニュースステーションにも生出演したエンヤ。センスのいい曲とか、才能を感じさせるミュージシャンという言葉は、まさにエンヤのためにあるようなもの。この曲は2000年ですが、もっと前から耳にしていたような錯覚を覚えます。暑い夏に聞くと、心が涼しくなって落ち着きます。


アイルランド北部の生まれで、46歳、ケルト音楽を下敷きに独特の音楽を創作する女性音楽家、というプロフィールだけでぞくぞくしますが、楽曲はその触れ込みに負けてないですよね。素敵です。 ネットを調べていたら、ちょっと気になるBLOGを見つけたので紹介します。私は他の人のBLOGを紹介するということは滅多にしないのですが、こういうインパクトの強烈な作品は見過ごせませんね。

by thessalonike5 | 2008-08-07 23:30 | 原爆の日 ・ 終戦記念日
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