人気ブログランキング | 話題のタグを見る

本と映画と政治の批評
by thessalonike5


S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
access countベキコ
since 2004.9.1


















洞爺湖サミットと福島瑞穂の札幌市民サミット - 短冊の願い事
洞爺湖サミットと福島瑞穂の札幌市民サミット - 短冊の願い事_b0090336_13584261.jpg洞爺湖サミットの歓迎行事をテレビのニュースで見ていると、各国首脳夫妻が願いごとを短冊に書いてホテルのロビーの竹林に吊り下げていた。東洋の清らかな風習である七夕をサミットのイントロに取り入れる演出と企画は好感を持てる。日本らしい。諸外国のプレスはこの風雅な伝統文化を自国に丁寧に情報発信して欲しい。首脳の中でロシアの新大統領のメドヴェージェフは、短冊に書き入れた言葉の中で織姫と彦星の逸話に触れていて、その態度に日本の文化に対する真摯な関心と敬意を看て取ることができる。スタッフが優秀なのだ。ロシアの対日姿勢にはこういうところがある。極東の日本を文化大国として尊敬して仰ぎ見る眼差しをずっと以前から持っている。郷に入ったときはこうでなくてはいけない。異文化を持つ相手の国民に好印象を抱いてもらえるように振舞わなくてはいけない。他国の歴史と文化を尊重して、そこに知的で内在的な関心を寄せなくてはいけない。西欧諸国の首脳たちにはその点で劣るところがある。東洋文化への関心が弱い。



洞爺湖サミットと福島瑞穂の札幌市民サミット - 短冊の願い事_b0090336_13454582.jpg昨今のEUの隆盛と日本の凋落の情勢が、その傲慢を開き直らせる気分を後押しし、また福田首相の国内支持率の低さの事情や、この8年間の徹底的な対米従属と無主体外交の体質が、欧州首脳をして日本の存在を軽侮して省みない姿勢を媒介させていると言える。夫人を同伴させなかったフランスやイタリアは日本を舐めきっている。本来、温暖化防止で温室効果ガス排出削減目標に合意するのが主題であるはずのサミットで、サルコジはG8の拡大などという身勝手な提議を持ち込み、英国と組んで洞爺湖サミット(日本外交)の意義を潰す戦術に出ている。本当なら、EUは日本を助けて、スクラムを組んで米国に合意への決断を促し、中国とインドにCO2削減の責任をコミットさせるよう働きかけなければならなかったはずだ。日本と欧州が割れては米国に対する圧力が形成されない。中国に決断を迫らせられない。地球温暖化問題では、欧州は日本と一枚岩になる必要があり、これまでと同様に米国との間で綱引きして、日本を自陣営に引き寄せなくてはならなかったはずだ。

洞爺湖サミットと福島瑞穂の札幌市民サミット - 短冊の願い事_b0090336_13433680.jpg日本開催のサミット本番で、欧州と米国が日本を飛ばして、裏で直に温暖化対策の取引を始めている。これまでの日本の度重なる裏切りと無責任で煮え湯を飲まされてきた欧州としては、これは当然の行動かも知れないが、果たして中国への説得という課題を視野に入れたとき、この欧州の日本外しは正解と言えるのか。サミットの議題は議長国である日本が主導して決めるものだ。サルコジの乱暴な割り込みに対しては、G8拡大の話は来年やれと一蹴するべきだった。舐められてばかりいるんじゃない。そしてサルコジを一蹴し、ブラウンとメルケルの鼻をあかすためにも、まず中国を説得してCO2削減にコミットさせ、それを武器に米国を口説いて合意を決断させるべきだった。本気になれば、日本はそのくらいは簡単にできた。チベット問題と四川大地震は胡錦涛主席を口説き落とすチャンスとカードを日本に与えていて、日本の指導者に能力があれば、洞爺湖サミットでの画期的な温室効果ガス削減目標が合意でき、温暖化防止の歴史にモニュメンタルな1ページを記し、世界のプレスに日本の大きな存在感を示すことができただろう。

洞爺湖サミットと福島瑞穂の札幌市民サミット - 短冊の願い事_b0090336_13285150.jpg週末、近所の商店街で同じような催しがあり、短冊に願いごとを書きつけて笹の葉に飾ってもらった。「家内安全」とか「受験成就」とかが多かったが、私は「反貧困」と書いてみた。福島瑞穂BLOGを読むと、7/5(土)に市民サミット2008に参加のため札幌に行った記事が出ている。パネルディスカッションに出たらしく、そこでどういう話をしたのかは詳しく報告されていないが、夜に地域労組と懇親会をして、「いつも思うけれど、北海道は、ビールが実においしい。また、生エビなどおいしいものでいっぱいである」と嬉しそうに書いている。遊びに北海道へ行ったのか。福島瑞穂にとってBLOGは個人の日記なのかも知れないが、公党の党首がネットで公開している文書である。こういう事を書くべきではない。灼熱の東京や大阪の路上で生活している人が大勢いて、この格差社会を恨みながら毎日の命を繋いでいるのである。路上に出るところまでは至ってなくても、高騰する物価の中で、少ない年金やわずかな給料で不安いっぱいに暮らしている弱者は無数にいて、彼らにとって、我々にとって、夏の北海道旅行だの、札幌の夜の生ビールだのボタンエビだのは、夢のまた夢の話なのである。

洞爺湖サミットと福島瑞穂の札幌市民サミット - 短冊の願い事_b0090336_1329115.jpgそういう人間が社民党に投票している。格差社会の是正を願って社会民主主義の政治を応援している。羽田と札幌の往復航空券の費用は議員パスではないのか。国民の税金ではないのか。生ビールとボタンエビは地域労組のゴチではないのか。自分のポケットマネーで払ったのか。自分の財布から払ったとしても、その収入は歳費であり、国民の血税ではないのか。政治家は飲み食いするなと言うのではない。誰だって夏の札幌に仕事で行ったら当たり前に飲み食いをする。だが、それをわざわざ公開日記に書いて全国の国民に見せびらかす必要はないのである。これが意識のズレというものだろう。誰が読んでいるかを簡単に忘れてしまう。保坂展人も、6月下旬に九州へ行ったの四国へ行ったのの記事があり、ここにはさすがに焼酎やうどんがうまかった話はなく、冤罪事件とダム建設の無駄を調査するお仕事だったようだが、四国を視察旅行した5人の議員の旅費が税金から出ているのは間違いない。国会を問責決議案で早々に閉じて、6月下旬から夏休みとばかりに全国を飛び回っている。われわれは、国会で野党に後期高齢者医療制度の審議を続けて欲しかったが、社民党は民主党に手を貸してあっさり国会を幕引きした。

洞爺湖サミットと福島瑞穂の札幌市民サミット - 短冊の願い事_b0090336_13292741.jpg7月はまだ休みじゃない。そんな長い夏休みを取っているサラリーマンはどこにもいない。福島瑞穂は6/30から7/2までギリシャのアテネに飛んで、社会主義インターナショナルに参加してきている。2泊3日の強行軍でさぞかしお疲れだっただろう。中身のある報告も上がっていて、ご苦労さまとねぎらいの言葉をかけたいが、少し疑問に感じるところもある。このG8直前のタイミングで特に欧州の社民党の党首が一同に会したのなら、なぜそこで原油高騰に対して市場規制するべきとの決議を上げなかったのだろう。サバテロとかロワイヤルも会場に来ていたのだろうか。顔の売れた欧州の著名政治家が集まっていたのだから、プレスを前に洞爺湖サミットに向けての強力なメッセージを発信すればよかった。あるいは、彼らからG8議長である福田首相に向けてのメッセージを福島瑞穂が授かってくればよかった。どうしてそういう政治ができないのだろうか。そういうアジェンダが大会に入ってなければ、企画を事務局に提案して実現させればよかった。洞爺湖に集まるG8の首脳たちに、少しでも原油と穀物の市場規制を考えさせるプレッシャーをかければよかった。

洞爺湖サミットと福島瑞穂の札幌市民サミット - 短冊の願い事_b0090336_13294665.jpg政治というのは常に「可能性の芸術」なのである。福島瑞穂がアテネと成田の往復旅費を無駄に使ったとは言わない。精一杯よくやっていることを認めよう。だが、政治家は、単に大会に出席しました、誰々と会って挨拶しましただけでは成果にならないし、国民の期待に応えたことにもならない。福島瑞穂がアテネ行きの機中にいた6/30、共産党の志位和夫はキャノンの長浜工場に視察に行き、そこで本社から来た取締役に派遣労働者の問題を問い質し、その結果、キャノンから製造現場での派遣社員をゼロにする解決策を引き出させている。こういう政治家の出張旅費なら、われわれは税金を払っても損はないのだ。どんどん新幹線に乗って全国を飛び回って欲しいのだ。自分が夏の北海道へ行ってビールを飲めなくても、その金を税金として喜んで政治家に差し出すことができるのだ。まさかとは思うが、社民党が民主党の問責決議案(=国会幕引き)に乗ったのは、アテネの社会主義インターナショナルのスケジュール(6/30-7/2)があったからではあるまいな。だとすれば、福島瑞穂は後期高齢者医療制度のことを忘れて遊び回ってばかりいると不信感を持たれても仕方あるまい。

参院議長の江田五月も新聞記者まで同行させてタイやらインドやら。本当に財政赤字で社会保障を削らなければいけない国なのか。
洞爺湖サミットと福島瑞穂の札幌市民サミット - 短冊の願い事_b0090336_1481236.jpg

【世に倦む日日の百曲巡礼】

今日の一曲は、1997年の エルトン・ジョン『Candle in the wind』を。

ダイアナ妃への追悼歌。ダイアナがパリで交通事故に遭って死んだのは11年前の1997年8月31日。日本に一報が届いたのは休日(土曜)の朝だったような記憶があります。日本にとっても本当に惜しい人の死でした。ダイアナが生きていれば、きっと皇后陛下と雅子妃の間に入ってくれたのではないかと思うからです。皇后陛下が好きだったダイアナは、日本へ来るときは嬉々としていました。聖人のような皇后陛下の人格をもってしても嫁姑の問題を斉するのは難しい。

世界中にたった一人、ダイアナだけが二人の間に入れたのではなかったか。もしダイアナが生きていて、3ヶ月か半年に一度来日して皇居と赤坂の間を往復していれば、雅子妃がこれほど公務をサボり続けることはなかったのではないかと思います。皇太子も妻と両親に挟まれて苦労しなくて済んだでしょう。そして、そのことは世界(特に欧州)のマスコミに大きく報じられ、親日家のダイアナに影響され、ダイアナ贔屓の欧州の人々の対日感情は相当によくなったのではないかと思います。


もしダイアナが生きていれば、彼女は2003年のイラク戦争に賛成したでしょうか。英軍のイラク参戦に積極的に賛同したでしょうかね。ダイアナは特別な才能や学歴を持った女性ではなく、美貌以外は普通の女の子で、偶然に英王室に嫁ぎ、夫の浮気に悩んだ人だったのですが、性格が素直で、経験の中でどんどん自分の知性と人格を成長させ、それが表情にあらわれて輝きを放っていました。

生きていれば、世界と日本にとって欠くべからざる重要な役割を果たしていて、圧倒的な大衆的人気を博して、間違いなくノーベル平和賞を受賞していたと思います。


葬儀のときのライブのYouTube。音もこちらの方がいいですね。

by thessalonike5 | 2008-07-08 23:30 | 政局
<< サルコジの驕慢とG8宣言の政治... 昔のIndexに戻る 戦争経済の気分 - 「おしん」... >>