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本と映画と政治の批評
by thessalonike5


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日本は安全な国なのか - 警察庁の犯罪統計は信用できるのか
日本は安全な国なのか - 警察庁の犯罪統計は信用できるのか_b0090336_14122193.jpg秋葉原で起きた通り魔による無差別大量殺人事件は海外でも大きく注目されて報道されている。Yahoo US のTop Page では昨日(6/8)の午後からずっと8個のニューストピックスの中に見出しが入っていて、APとBBCの速報映像が流されていた。現時点で重篤の被害者が2名いて、犠牲者の数はさらに増える可能性があり、その場合は7年前の2001年に起きた宅間守による池田小学校児童殺傷事件の犠牲者数を上回る最悪の事態もあり得る。今週の日本の報道は、特にワイドショーを中心にこの「秋葉原通り魔事件」で一色に塗り潰されるだろう。通り魔の凶行による無差別殺傷事件は3月に荒川沖駅で起きたばかりで、このときは文化包丁で8人が刺されている。「誰でもよかった、人を殺したかった」と供述している点でも同じであり、今年正月に戸越銀座で起きた16歳の少年による殺人未遂事件とも共通している。1月は軽傷2名、3月は死者1名で負傷者7名、6月は死者7名で負傷者10名。単純に考えると、3ヵ月後の9月にまた通り魔事件が発生する予想が立つ。



日本は安全な国なのか - 警察庁の犯罪統計は信用できるのか_b0090336_14123180.jpg今度の通り魔事件は犠牲者の規模が大きい。わずか5分間の犯行で17人が被害に遭い、7人の命が奪われている。そのうちトラックで轢き殺したと思われる分が3人、ナイフで刺し殺した分が4人、きわめて短時間で大量の殺人を敢行していて、悪い想像だが、犯人は殺害の効率を周到に検討し、言わば最小努力で最大効果を狙った可能性がある。ナイフでの殺傷は、多くの場合、被害者の背後から狙って背中の急所を一突きしていて、被害者たちは犯人の顔を見る間もなく一瞬の間に刺されて路上に倒れている。歩行者天国の通行人は多く、誰もその場の状況をよく理解できなかったに違いない。正面から襲うよりも背後から襲う方が殺害の確率が高いことを犯人は事前に計算していたのだろう。トラックで無差別に人を轢き殺した事件は3年前の2005年に仙台のアーケード街であった。車両を凶器にして大量に人を殺そうと思えば、大都会の休日の歩行者天国の交差点を襲うのが最も効率がいい。東京であれば銀座か秋葉原になる。その意味では犯行は計画的で、無差別殺人の殺害効率と犯行訴求の面で入念に練られている気配を感じる。「一人でも多く殺す」ことが目的だったはずだ。

日本は安全な国なのか - 警察庁の犯罪統計は信用できるのか_b0090336_14124123.jpg以前、石井紘基が映画『バトル・ロワイヤル』の規制を求めた件を記事で紹介したり、山口母子殺害事件に関連して厳罰化と道徳教育の必要性を強調したとき、ブログ左翼とネット右翼から夥しい量の揶揄と罵倒が浴びせられたことがあった。彼らの言い分によれば、警察庁の犯罪統計でも殺人を含む凶悪犯罪は減り続けて過去最低の水準にあり、したがって私が求める表現規制や厳罰化や道徳教育は、ベースとしての社会的現実を無視した不当な議論であり、マスコミが騒ぐから一般市民が日本を犯罪大国であるかのような錯覚を持つのだと言う。この問題については福島瑞穂もBLOGの中で書いている。警察庁から統計を見せられれば、それに反論できる証拠材料は何もないが、私の記憶では、2003年の衆院選だったか、「治安の回復」が争点の一つとして真剣に論議された国政選挙があった。国民が政治に求める重要な課題として治安回復があり、その背景には外国人犯罪の増加や凶悪事件の増加があり、空き交番の問題が政党間討論の論戦材料になっていた。このとき自民党小泉政権が出した政権公約の資料でも、警察庁発表の重要犯罪件数は1998年から2002年まで増加の一途になっている。

日本は安全な国なのか - 警察庁の犯罪統計は信用できるのか_b0090336_14125552.jpg1998年から2002年までは犯罪は増えたが、2003年をピークに2003年から2007年までは減った。警察庁の統計値ではそうなっている。これが事実であれば、小泉政権の行政によって治安回復対策に成功したという結論になる。果たしてこの「統計」を信用できるか。金子勝が「郵政民営化」の講演会で口を酸っぱくして言っていたのは、財務省や総務省の官僚がいかに政府統計を出鱈目に作っているかであり、初めに政策ありきで、政府が時々に出す政策方針を正当化し根拠づけるために、きわめて作為的操作的に「数字」を捏造している問題だった。今度の厚生労働省の後期高齢者医療制度の調査統計の一幕を見てもよく分かる。厚労省と自民党は、この制度の導入で7割の後期高齢者が負担が軽くなると言っていた。初めに政策上の結論があるのであり、その結論に合わせるために、結論を「証明」するために「数字」を勝手に作るのだ。そして、官僚は絶対に原資料は公開しないのである。自分たちが複雑に加工した「数字」しか見せない。「景気回復」も同じだろう。竹中平蔵は改革によって景気が回復したことを「数字」で強調したが、われわれの実感では景気は全く回復していなかった。中立者であるOECDがようやく本当の数字を出した。

日本は安全な国なのか - 警察庁の犯罪統計は信用できるのか_b0090336_1413563.jpgそれによれば、日本の国民一人あたりのGDPは(改革の前の)世界弟2位から世界弟18位に転落していて、われわれの実感と整合する経済指標が外国から提示された。最近の政府統計は信用できない。特に小泉政権以降の調査統計は信用できない。政治的意図が先にある。国民世論を誘導する意図を持った操作情報の性格が強い。例えば、警察庁の犯罪統計の中の「殺人認知件数」だが、「認知件数」の政府の定義は、「被害の届出、告訴、告発及びその他の端緒により、警察においてその発生を認知した事件の数をいう」とある。警察が殺人事件として届を受理しなかった事件は「殺人」として認知されないことになる。被害者が加害者に殴り殺されても「傷害致死」と認定されれば「殺人」にはカウントされない。被害者の家族が被害を届け出ても、現場の司法警察官による被害の検分と判断で事件として認定・捜査されなければ、それは単なる事故死で終わってしまう。そういうことは起きてないだろうか。社会福祉事務所の現場では、厚労省と県の通達と指示で、一人でも生活保護受給者数を減らすために、受給申請を受け付けないように追い返すマニュアル指導が徹底されている。厚労省の生活保護世帯数の統計が実態を反映したものでない事実をわれわれは知っている。

日本は安全な国なのか - 警察庁の犯罪統計は信用できるのか_b0090336_14131569.jpg厚労省は信じられないのに警察庁を信じられる根拠は何なのか。1998年から2002年までの重要犯罪増加の「統計」は、ひょっとしたら警察庁が予算対策として意図的に作った数字かも知れず、2003年から2007年までの凶悪犯罪減少の「統計」は、警察庁の仕事ぶりを国民に訴求する自画自賛のものかも知れない。そろそろ予算が欲しくなれば、また重要犯罪の件数が増加に転じるかも知れない。いずれにせよ、国民は生のデータを入手査察できる立場にはなく、政府統計を信用するか否かであり、その場合は、政府統計の作為性という問題に警戒してもし過ぎることはないのであり、屡々、金子勝のような政府統計の嘘を暴露する本格的な専門家も現れるわけで、警察庁発表数字の嘘を暴いて検証する正義の専門家が登場する可能性も否定することはできないだろう。少なくとも、国民の実感としては日本の治安は決してよくなっていない。景気回復の実感を持てないように治安回復の実感も持てないのだ。犯罪は社会経済状況の反映であり、単に警察の捜査能力や予防行政だけの問題ではない。個人の社会への不信や憎悪や絶望が喚起されやすく、努力すれば報われる信念や信条を持ちにくく、そして犯罪への衝動を未然に抑止する小社会(家族・地域)の機能が弱化した社会では、必然的に犯罪は増加する傾向になる。

日本は安全な国なのか - 警察庁の犯罪統計は信用できるのか_b0090336_14132458.jpg昨日(6/8)は日曜日だったが、福田首相は事件をどのように知り、午後の時間は何をしていたのだろう。調べると、ずっと公邸にいて、午後3時から社会保障国民会議に関する件で補佐官の伊藤達也の報告を聞いている。他には何もしていない。こういう場合、米国の大統領なら恐らくホワイトハウスからメッセージを出すのではあるまいか。被害に遭った犠牲者への弔意を表し、動揺している国民に何か言葉を語りかけるのではないかと想像する。私が総理大臣であれば、警察庁長官と共に秋葉原の現場へ向かったのではないか。特に用事のない日曜日だからそれができる。国民の心が凍りついた恐怖の事件だから、そこでは指導者が国民に寄り添い、言葉をかけて悲しみを共有するのが当然であるように思われる。そして、この事件が、単なる個人による偶発的な刑事事件ではなく、社会全体に起因する大きな問題であり、全ての一般国民が生命の危機に晒される社会的な危機であり、政府は国民の生命と安全を守る責任があり、この社会的危機を惹起させた責任(法的責任ではなく社会的責任)が政府にもあることを認め、政府と国民が協力して問題の根絶に当らなければいけない覚悟を示すべきなのだろう。7人の生命を守ることのできなかった責任を痛感する態度を(演技であっても)見せるべきで、この問題への強い関心を示し、継続的に問題への注意を離さない意思を示すべきだろう。

個人の問題ではなく社会の問題だ。それも単に格差社会(労働法制と賃金)の問題だけではなく、教育の問題があり、倫理の問題がある。根が深く、そこまで国が手をつけないと根絶できない。
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【世に倦む日日の百曲巡礼】

今日は 賛美歌 の中の一曲で 『Power of Your Love』 を。

賛美歌なんて何も知らなかったのですが、
去年、たまたまある人に教えてもらいました。とてもいい曲です。
この歌を聴いていると、
シェンキェヴィッチ『クォヴァディス』 を読み直したい気分になります。



秋葉原の路上で凶刃に斃れたお一人お一人のご冥福をお祈りして、
合掌。

by thessalonike5 | 2008-06-09 23:30 | 秋葉原事件
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