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本と映画と政治の批評
by thessalonike5


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尖閣問題での辺見庸と村上春樹 - 中国人は阿Qなのか
尖閣問題での辺見庸と村上春樹 - 中国人は阿Qなのか_b0090336_1622666.jpg辺見庸は、昨年の反日暴動で日系の商店や日本車を襲撃した中国人たちについて、魯迅の阿Qだと言っている。「阿Qは、ちゃらんぽらんで、なんでも自分に都合よく解釈するオポチュニストであり、時に応じて付和雷同する貧しい愚民の典型である。つまり、魯迅が仮借なくつきだした昔日の中国民衆像が阿Qなのだが、しかし、阿Qの末裔は現代中国のみならず、この日本でも、いや、世界各地でいま急速に増殖していないだろうか」(P.25)。これは、反日暴動の直後の9/25に信濃毎日新聞に寄稿した中の記述だ。新刊書に収録されている鵜飼哲との対談でも、この問題に触れた場面が登場する。こう言っている。「魯迅が阿Qをどう思っていたか。これはほとんど『魯迅とは何か』と同じくらいに重要な問題設定だと思います。僕は、魯迅は阿Qを愛していたと最終的には思わざるをえないところがある。同時に、魯迅の自己嫌悪としても『阿Q正伝』はあると思うんですよ」「中国の人たち(略)はつまり、かなりニヒルだということです。僕の見るところ、個人主義という意味においては、日本よりも彼らの方が個人主義です。魯迅が個人主義者であったように」「実際の中国民衆は手に負えないほどの個人主義者であると思います。魯迅が『砂のようだ』と言ったのもそこでしょう。砂のようであるというのはある種の絶望と手強さです。自民族に対する手に負えなさを『砂のようだ』と言ったのではないでしょうか」(P.181-182)。




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尖閣問題での辺見庸と村上春樹 - 中国人は阿Qなのか_b0090336_164182.jpg

by thessalonike5 | 2013-03-06 23:30
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