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辺見庸の尖閣論(2) - 尖閣問題の本質は領土ではない
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もう一度、辺見庸の尖閣論についての記述を書き出そう。「中国は1949年の建国以来、領土問題では一寸たりとも譲歩したことがないという自負もあり、尖閣問題でも軟化は絶対にありえないだろう」(P.31)。「針の頭ほどの領土でも中国の人は自分たちの領土だと言い張るだろうとは思っていました」「およそ、領土について、外交交渉の外縁のところで彼らは逡巡しない」「中国という国は、領土となると信じられないくらい熱をおびる」(P.172)。この指摘は正しいと言えるだろうか。これらは「中国の領土論」として、つい頷いてしまう言説ではある。しかし、その表象の納得には、アヘン戦争以来、列強によって領土を蚕食され国富を略奪された中国の苦い屈辱の歴史があり、という前提が入るはずだ。外からの他国の侵略に対して神経過敏にならざるを得ない大国の古傷という事情があり、そうした特性を踏まえた上で、領土問題における中国の生理を一般論として言えば、それは内在的で妥当な説明になるだろう。そうした前提抜きで、頭から中国の大国主義を非難する口調で、中国の領土不寛容性向を言い上げるのは、安直な床屋政談であり、マスコミや右翼による誹謗の常套句と変わらないものと言える。実際に、ロシアとの国境画定交渉では、領有をめぐって紛争した大ウスリー島を面積で折半するという合理的妥協で決着させている。辺見庸は、そうした中国の領土政策の実績を承知しているのだろうか。
by thessalonike5
| 2013-03-05 23:30
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