昨夜(3/18)、NHKの『その時歴史が動いた』の最終回の放送があった。番組が3月で終了するという情報を知って、とても淋しい気分になっていたが、遂にそのときを迎えて、思いが胸の中に広がって行く。9年間続いた放送の大半を私は見逃していて、決して熱心な視聴者ではなかったが、しかし熱烈な支持者であったことは確かで、この番組が続いていることが心の安心であり、NHKに対する信頼感を支える具体的な材料でもあった。それがなくなることの淋しさや悲しさを噛み締めたときは、惜別に際して感謝の言葉を捧げるべきだ。2000年に番組が始まったときの最初の回の放送はよく覚えている。日本海海戦をCGで見せていた。「そのとき歴史が動いた」の前にどんな歴史番組をやっていたのか思い出せないが、松平定知をキャスターに据えた新番組は、それまでの方法とスタイルを変え、本来のオーソドックスな歴史番組に戻っていた。それ以前はポストモダンのテイストが濃厚な歴史認識だった。松平定知の番組はそれを一新し、歴史を人間のドラマの集積として捉えた。そして、この番組のバックボーンが司馬遼太郎にあることを示唆していた。
2000年から2009年までの9年間はどういう時代だったか。そのことを考え、そして作品としての「その時歴史が動いた」を見たとき、それはほとんど奇跡のような光景であるとさえ言える。この9年間は真ん中に小泉政権の5年間を抱え込んでいる。靖国神社参拝の5年間があった。政権の性格に放送が左右され、政府の思惑に従った番組が制作されるNHKにあって、「つくる会」的な右翼思想の台頭に流されず、むしろそれと毅然と対決するような芯のある歴史番組を作り続けられたことを思うと、制作に関わった者たちの勇敢さや偉大さに感慨を深くせずにはいられない。松平定知が視聴者からの評価として言っているように、この番組はクォリティが高く、知性のレベルが高かった。知識人の人間が番組を作っていた。テーマの取り上げ方が素晴らしく、特に現代史については踏み込んだ歴史認識を提示し、よく表現の工夫をしていた。ネットでも話題になった「憲法改正」をめぐる戦後史を扱った回などは、まさに迫真の歴史ドラマであり、大いなる挑戦とその成功と絶賛することができる。よく歴史を勉強している人間でないと、あのような番組は作れない。まさに現役の研究者が最新の研究を紹介している。
昨夜(3/18)、松平定知が番組を振り返って制作について語っていたが、その言葉はとても説得的で、私が番組に対して持っていた感想と同じだった。番組を見ながら思っていたことは、よくここまで映像を撮って見せるなあということで、再現映像の実画にせよ、CGにせよ、たった1週間の時間でよくここまで用意できるものだといつも感嘆していた。特に再現映像が立派で、これほど大がかりな時代劇の映像をどこから集めたのだろう、それとも本当に大量のエキストラを動員して撮影したのだろうか、それほどの予算や人手があるのだろうかと不思議に思っていた。それに加えて毎回のゲストとの対談の台本がある。ゲストは専門の研究者だから、NHKの作った台本の原稿にそのまま首を縦に振る例は稀だと考えられる。当然、調整が必要になり、台本を何度もメールでやり取りすることになる。ゲストとの対談の時間は、CGや再現映像などのコンテンツ製作に較べれば手間と費用がかからず、スタッフにとっては言わば「節約と手抜きの時間」の部分だが、出演者との原稿の調整という点では決して疎かにできず、相当に手間がかかるものだっただろう。専門家にとってはプレゼンテーションの場であり、独自の学説を披露し講演する場になる。
最終回の松平定知の最後の挨拶を見届けて、ネットの画面に向かうと、そこに溢れているテキストの世界が本当に無味乾燥としていて、砂を噛むような味のない薄っぺらな政治の世界だということに気づかされた。そしてそこに棲んでいる自分自身が悲しくなった。自民党や民主党を罵倒する言葉、中国や韓国に対する見るに耐えない侮辱の数々、私(世に倦む日日)に対する敵意と憎悪に満ちた誹謗中傷。私が寝起きし呼吸している現実の環境は、汚い唾と痰が吐き散らされた空間で、人間の愚劣さや醜悪さばかりが際立って見える場所だ。ネットで政治を語るということは、揶揄と罵倒の痰と唾の水槽に飛び込んで泳ぐということに等しい。愚痴になるが、こんなところで暮らす人生を夢見てはいなかった。私の30代の読書の中心は司馬遼太郎で、そこに梅原猛が入って世界を広げ、例えば黒岩重吾の古代史などが入り、読書して世界が広がり豊かになる実感があり、その豊かなストックの上で旅をするのが人生の後半だと思っていた。時代が変わり、そうした安住の条件は失われ、他の多くの人々と同様に私も楽園を追放され、薄汚いネットを放浪して寝場所を探し食べものを探す乞食のような難民の一人になった。難民になると、中産階級の頃の感性が失われる。
感性がプロレタリア化する。「その時歴史が動いた」を見なくなったのは、裏番組の民放の報道番組を見ていたからである。そちらの方に関心が移り、「その時歴史が動いた」は感性的に重い情報作品に思えたのだ。録画はしていたが、テレビの前に座って録画を再生することはしなかった。決して時間がなかったわけではなく、積極的に見る気分になれなかった。ただ、番組が続いてくれていることだけを脇目で見て安堵を感じていた。正直なところを言えば、いつか心に余裕を取り戻した後に、この録画の一つ一つを見て楽しもう、そんな気分だったのに違いない。ネットの中の言葉の群れには豊かさがない。「その時歴史が動いた」の語りの世界のような豊かさがない。心の温かさや、肌の潤いというものがない。ガサガサしている。干からびている。貧相で知性がない。そして、本当は知的に豊かなものに餓え、知的に豊かなものが生活の周囲に必要なのに、われわれはそれを胃の中に入れられない。消化する能力がないのだ。われわれは健全な身体を持っておらず、つまりは病気であり、病気を治してからでないと知的に豊かなものを口にすることができない。そんな人間になっている。「その時歴史が動いた」の終了が悲しくてやりきれないのは、自分自身が難民的生活から戻る前に、その文化的な憧れの対象がなくなってしまったことである。
こちらも9年間の万感をこめて、松平キャスターとスタッフの皆様に、おつかれさまでした。