本と映画と政治の批評
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漆間巌は「日本版CIA」の初代長官? - 立花隆の国策捜査論の盲点
b0090336_14254039.jpg産経新聞のサイトにある「話の肖像画」の漆間巌特集は、2007年11月に5回にわたって連載されている大型企画である。そこでは、警察庁長官を退官して(財)交通事故総合分析センターの理事長に天下る前の漆間巌が、余裕綽々で「特務機関」エリートたる自己の半生を回顧して語っている。この後、2008年9月に麻生内閣の官房副長官に任命され、現役に復帰して官僚組織の頂点に立つことになるが、もし官房副長官への抜擢がなかったら、おそらく漆間巌は「産経文化人」の新人として右翼系論壇にデビューしていたのではないか。漆間巌を見ながら、その先輩格として思い浮かぶ人格は佐々淳行で、二人は同じ類型であり、79歳の佐々淳行の「産経論壇」における後継者の役割が漆間巌に期待されていたものと推察される。右翼系の論者ではあるが、佐々淳行は法律に詳しく、論理明快で、刑事法の規定と適用が頭に入っていて、公安事件の捜査の解説は説得力があった。漆間巌が佐々淳行の後釜を務める知能を持っているかは不明だが、「諸君」や「正論」に寄稿する右翼論客の常連として名を連ねていたことだろう。



b0090336_1425517.jpg今回の騒動は、むしろ名前を世間に売る宣伝になったと本人はほくそ笑んでいるかも知れない。今後、もし漆間巌が論壇で保守系文化人として活躍する場面があれば、田母神俊雄とそっくり同じパターンになる。産経の記事では、警察庁長官を退官して一丁上がりの身になった気楽さからか、自身の防衛庁陸幕調査部調査第2課調査別室長の経歴についても堂々披露している。右翼方面の固定読者に対する宣伝の意味で、自己のイデオロギー的本性を露出し、今後の論壇での活躍を注目してくれと訴求している布石とも窺える。このプロフィール情報は先に言っておいた方がいいだろうという思惑もあったかも知れない。「調別は、ロシアや中国、北朝鮮など極東の軍事無線を傍受して、その動きを収集、分析するのですが、その能力はすごい。聞けば、軍事情報は米軍にも供与される。そんなに頼りになる機関が日本にあるということに、驚きを覚えましたね」「私自身、昭和62年から平成元年まで、調別の室長をやらせてもらい、とてもいい経験をしました」などと言っている。

b0090336_1426372.jpg漆間巌は、何か偶然に「調別」の室長になったような言い方をしているが、普通の警察官僚で、わざわざこんな不気味な部署に入り込んでキャリアを作る人間はいないだろう。このキャリアは、組織からの指令を受けてと言うよりも、漆間巌の思想が自ら動機づけたものであり、警察官でありながら在ソ連日本大使館に諜報工作員として潜り込んだ最初の経歴と符合する。そしてまた、安倍晋三と意気投合して出世を果たした後日の経緯とも重なり合う。今回の小沢一郎への捜査と秘書逮捕について、報道で見るかぎり、自民党の中で真相を知っていた人間はほとんどいないと思われる。西松絡みで疑惑の政治家の一人として名前が上がった森喜朗は無論のこと、幹事長の細田博之も何も知らされていなかっただろう。だが、一人だけ検察の内部情報を知らされていた人間がいたとすれば、それは安倍晋三である。官房副長官の漆間巌と東京高検検事長の大林宏は、麻生首相の腹心と言うよりも、むしろ安倍晋三の部下である。正確な表現を期せば、安倍晋三が警察トップと検察トップの二人を部下にしているというよりも、二人の謀略官僚が安倍晋三を神輿にしていると言うべきだろうか。

b0090336_14261613.jpg麻生内閣は、まぎれもなく安倍内閣のグロテスクな性格を引き継ぐもので、権力の実体は第2次安倍内閣である。ずっと昔、鈴木善幸内閣とか中曽根内閣は、裏で闇将軍が人事と予算を操縦する実態から「角影内閣」と呼ばれたことがあった。そこまで大きな影響力はないにせよ、麻生内閣に安倍晋三の影が大きく滲んでいるのは間違いない。安倍内閣発足のとき、官邸に「日本版CIA」を作るという構想が打ち上げられたが、もしそれが安倍晋三の目論見どおり政府組織として実現していれば、初代長官には漆間巌が就任していたのではないか。彼らは諦めてないのである。米国のCIAと言うと、何となく小説や映画の世界の印象があり、中性的な響きがあるが、実際にわれわれの前に現れるのは戦前の参謀本部謀略課と内務省特別高等警察の現代版であり、吐き気がするほど醜くおぞましい悪魔が登場して、彼らの監視と暴力は真っ直ぐ国民に向かうところとなる。反政府勢力の取締と思想統制に権力が行使される。安倍晋三の影が麻生内閣に色濃く感じられる点については、例の読売新聞のコンパニオン記者の一件もあった。その後、コンパニオン記者の続報はないが、私はコンパニオン記者と安倍晋三との関係を疑っている。

b0090336_14262966.jpg検察や特捜が本来の性格をすっかり変質させている。このところの報道でも言われているが、ここ数年、特捜部が政治家を捜査の対象にするケースが途絶えていた。一昨年の防衛省汚職事件でも、どう考えても真っ黒で収賄罪が確実と思われた久間章生への追及が沙汰やみにされた。今回の西松建設の事件に較べれば、久間章生や額賀福志郎や前原誠司ら政治家と山田洋行との関係の方が、はるかに贈収賄や斡旋利得の適用が容易な案件だったと思われたし、与野党共にバランスよく摘発できて偏向捜査を世論に責められる心配もなかったはずだが、検察は政治家には指一本触れようとはしなかった。3年前のライブドア事件の捜査でも、投資組合の線を辿って行けば、その先に政治家の黒い存在が見えるのは必定だったが、全くかすりもせずに終わった。堀江貴文に対する追及も、重要と思われた脱税の方は見逃され、微罪の証券取引法違反だけで立件が止まった。今年のキャノン事件でも、本丸である御手洗冨士夫はおろか、外堀であるはずの脇役の広瀬勝貞にさえ縄をかける気配がない。小物を一匹挙げてマスコミに騒がせただけだ。巨悪に迫る特捜というイメージはすっかり失われ、巨悪は必ず見逃すのが特捜の常道になってしまっている。

b0090336_14263985.jpg魚住昭は、『特捜検察の闇』を書いて図書新聞のインタビューに応じた8年前、それより4年前に『特捜検察』を書いた1997年の頃とは司法の世界が一変し、4年ほどの間に日本の国家主義的傾向が強まって、検察捜査の国策化が進んだ状況を指摘している。現在はその延長がずっと続いていて、ロッキード事件やルクルート事件の頃の日本の検察の姿は遠い昔話になったようだ。ところが私の頭の中では、まだ一般像としてロッキード事件やリクルート事件の当時の検察の印象が強く残っていて、20年前の観念で特捜の捜査を捉えてしまうのである。何故そうなるのか、検察を正義の味方としてデフォルトで考えてしまうかと言うと、遠い過去の時代の日本へのノスタルジーと同時に、立花隆の影響が非常に大きいと言わざるを得ない。あのリクルート事件から佐川急便事件があった頃、立花隆はまさに検察のスポークスマンとして夜の報道番組で事件を明快に解説していた。構図はあくまで巨悪vs検察であり、収賄や不正の責任を秘書や妻に押しつけて、法の網から見苦しく逃れようとする大物の保守政治家が巨悪であり、それを黙って摘発検挙する検察が正義だった。黙々と捜査をする検察を立花隆が縦横に解説して、われわれに検察の手の内(立件事由と法の適用)を教えてくれていたのである。

b0090336_1428820.jpg時代は変わり、状況は変わっても、検察は国民の前に出て喋ることはしないから、われわれは検察が変わったことに気づかない。昔の観念で検察を捉えてしまい、庶民にとっての正義の味方だと幻想を信じてしまう。検察が法と正義に忠実に動いていると思ってしまう。立花隆がロッキード事件やリクルート事件を解説していた当時が懐かしく、その時代への郷愁が錯覚をさらに増幅させる。立花隆は、先週、みのもんたの朝の番組に出演して、特捜の捜査は全て国策捜査であり、法相に報告を入れ、内閣から指示を仰ぎ、国民の世論を気にしながら行われるものだと述べたらしい。立花隆は捜査の一般論を言い、昔も今も同じなのだと説明したつもりらしいが、ここに実は立花隆の耄碌がある。国策捜査の概念は同じだし、別に国策捜査かどうかが問題になっているのではないのだ。同じ国策捜査でも、昔の捜査と今の捜査の中身が全く変わったことと、内閣の指示やマスコミ報道の中身が変わってしまっていることが問題なのである。少なくとも、昔の捜査(国策捜査)では、このような露骨な政敵追い落としの捜査はなかったし、与野党への捜査の公平を期すという平衡感覚があった。民主主義の原理原則に対して緊張感のある検察の捜査があり、だからこそ検察は正義と真実の守護神であるという一般通念が国民の間で成立していたのである。

立花隆はその点を言わなくてはならなかった。国策捜査は昔も今も同じだと簡単に結論づけるのではなく、同じ国策捜査でも昔と今とではこれほど違うのだという点をこそ、国民の前に強調しなければならなかったはずだ。

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by thessalonike5 | 2009-03-11 22:30
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