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本と映画と政治の批評
by thessalonike5


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1986年のモスクワのメーデー - 放射能汚染された空の下
1986年のモスクワのメーデー - 放射能汚染された空の下_b0090336_16523965.jpg今から5年前、「サンクトペテルブルクを旅した頃」という記事を書いた。訪問したのは、ロシアがまだソ連だった当時で、町の名前もレニングラードと呼ばれていた頃である。実を言うと、そのとき日本を旅立ったのは、25年前の1986年4月27日で、ゴールデンウィークを利用しての8泊9日の旅程だった。チェルノブイリで事故が起きた翌日、私は日本を発ってソ連の地を踏んだのだ。4/27はハバロフスク泊、4/28はイルクーツク泊、4/29はモスクワ泊と、何も知らずにアエロフロート機に乗って、シベリア大陸を西へ西へと事故現場に接近していた。情報を得たのは4/29のモスクワのホテルでの夕食時で、ツアー参加者に日本の家族から国際電話が入り、私たちはそこで初めて原発事故の事実を知った。しかし、ソ連国内は全く静穏で、市内観光の日程も予定どおり行われ、私は4/30にレーニン廟とクレムリンの内部を見物している。5/1はメーデーで、街路に山車が繰り出る祭典のパレードは、全く通常どおりに催行されていた。赤の広場に続く通りの両脇には、東欧や西欧から来た観光団が大勢詰めかけていて、青く澄んだ晴天の下、賑やかな祝祭の情景が盛り上がっていた。4か国語が堪能な、リボフ出身の冷たい目をした彼女に出会ったのは、そのパレード見物の沿道での出来事である。彼女は東ドイツの旅行客を引率していた。あの後、リボフに帰ったのだろうか。




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1986年のモスクワのメーデー - 放射能汚染された空の下_b0090336_16521734.jpg

by thessalonike5 | 2011-04-18 23:30 | 東日本大震災
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