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本と映画と政治の批評
by thessalonike5


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詩聖杜甫
詩聖杜甫_b0090336_1762857.jpg       細 草 微 風 岸     細草 微風の岸
       危 檣 獨 夜 舟     危檣 独夜の舟
       星 垂 平 野 闊     星垂れて平野は闊く
       月 湧 大 江 流     月湧いて大江は流る   
       名 豈 文 章 著     名は豈に文章もて著わさんや
       官 応 老 病 休     官は応に老病にて休むべし
       飄 飄 何 処 似     飄飄 何の似る処ぞ
       天 地 一 沙 鴎     天地の一沙鴎

旅夜書懐」(旅の夜、懐いを書す)と題されたこの詩は、杜甫が54歳のときの作である。この年、杜甫は5年間暮らした成都の草堂を離れ、家族を携えて岷江を舟で下って行った。漂泊の詩人杜甫の最後の旅であり、この年から5年後の770年に病を重くして59歳の生涯を閉じる。洞庭湖に浮かぶ舟の上で、家族に見とられての死だった。



詩聖杜甫_b0090336_1764267.jpg杜甫の詩はどれも素晴らしいが、20年ほど前から、この詩が第一のお気に入りになり、年に一度は本の頁を開いて読み直している。五言律詩。対句と平仄が完璧で、二行ずつの起承転結が決まっている。杜甫らしい至高の完成度で情景と想念と諦観が織り込まれ、まさに芸術としか言いようがない。杜甫の詩作の妙はその極上の形式美にあり、間違いなく漢詩の頂点を極めていて、杜甫の詩が漢詩の文法の範型を作っている。まるでスーパーコンピューターが高速演算処理して最適な出力を弾き出すように、五言七言の一字一句が配列され、絶句律詩の起承転結のストーリーとメッセージが構成される。眼前に情景の客観があり、そこに感懐の主観を持った天才杜甫がいて、緊張の閃光が走り、頭上の宇宙から最適な漢字が降り落ちてきて、ビシビシと形式を埋めるように、そんなイメージのする神業で詩が出来上がっている。だから、不思議なことに、助詞と助動詞を付した日本語にしても詩として最上で、圧倒的な普遍性に感嘆させられる。

詩聖杜甫_b0090336_1765773.jpg起句の二行は景観の写生であり、静止している物体に照準を合わせたピンポイント撮影である。そして承句から緩やかに動きが始まり、カメラがパーンして、視界がワイドに広がり、情景が動態へと変わりながら、写生から内面へと転換が始まる。転句は情念の一気の噴出であり、それが結句で諦観へと着地して全体を完成させる。情念が昇華して冷え固まる。視線は再び外側の情景へと移り、眼前の自然世界が前景に還る。静から動への展開は、内面の激情を迸らせる転句でクライマックスに達し、再び結句で静へと戻る。静-動-静の構成。それは同時に、暗-明-暗の光の変容ともパラレルになっている。これが杜甫の演算処理的な芸術なのであり、特に晩年の作品はこうした創造性が型になっている。コンセプティブでコンポジット、そして、どこまでもロマンティックでメランコリック。「名は豈に文章もて著わさんや」、これは、「わが名はどうして文章などによって著わそうか」と意味をとる(森野繁夫著 『杜甫』 集英社刊 P.197)。あくまで政治に参加することが杜甫の人生の意志だった。

詩聖杜甫_b0090336_177947.jpg中央(長安)に帰り、政治に参加して善政を敷くこと。弱者の民を救う政治をすること。しかし、その悲願は果たせず、漂泊と放浪の中で憂愁と沈鬱を深め、安息の地を得ることなく、苦境に追い込まれ、最後はボロボロになって死に果てる。杜甫が漂泊の人生を強いられたのは、科挙に合格できなかったという学歴の不具合もあったが、その内面が詩人だったからであり、世渡りが下手で、周囲の瑣末な権力者とうまく折り合うことができなかったからである。左遷の憂き目に遭い、都から流れ流れて、ようやく僅かな官職にありついても、上の位の人間と仲を悪くしたり、自分を守ってくれる人間を失ったりして、流れ者ゆえに、やがて地位を追われて旅に出ることを繰り返した。杜甫の不本意な流浪の旅は、家族を食べさせるために仕官を探し、政治の理想を実現する機会を掴むための人脈を求め頼る旅だった。失意と鬱念と再起の連続の旅。人類の至宝とも言える崇高な傑作詩群は、その懊悩と辛苦の中で生み出されたものであり、それが故に誰もが強い同情と共感を寄せ、何千年経っても人の心を捉えて離さない。

詩聖杜甫_b0090336_1772288.jpg実はそこに中国の歴史の秘密がある。中国史の素晴らしさは、杜甫のような人物こそが歴史の中で最も人気の高い英雄だというところにある。杜甫、司馬遷、屈原、王義之、陶淵明。孔子や王安石もそう。中国史の真のヒーローは文人であり、それも、政治を志しながら果たせず、煩悶と鬱懐の中で人類史に残る文化作品を残した知識人に英雄の栄冠が与えられている。理想を持った知識人が歴史の主役。日本史のように、戦国大名だったり、幕末維新の革命家だったりというような、成功して権力を握った政治家が英雄になるのではない。むしろ、現世的には失敗して、志を遂げることができなかった人間たちこそが歴史の英雄なのである。中国の場合、歴史上の権力者というのは、始皇帝や毛沢東のように、殆どが典型的な暴君で、破天荒な暴政をやって民を苦しめるものという通念がある。権力を握って好き勝手をやるのは彼らのような強烈な専制君主であり、その周辺に、志を持ち能力を持った文人が出現し、敗者として挫折しながら歴史の横糸を織って行くのである。そして、人の人生とは、人間の歴史とはそういうものだという人間観や歴史観のようなものも感じる。

詩聖杜甫_b0090336_1773446.jpg洞庭湖の舟の上で死んだとき、杜甫の着物はつぎはぎだらけのボロボロで、病気の治療の前に餓えに苦しむ貧窮の身だった。病気は、喘息と神経痛とマラリアと糖尿病。歯もガタガタで耳も聞こえなくなっていた。「故郷を遠く離れ、誰からも見放されて、孤独の寂しさに沈みながらも、真っ赤な落日を浴びて心の残り火をかき立て、冷たい秋風を身に受けて病気が吹き払われたような気分になり、老いた身ながら、わが知恵と才能を、国のため人々のために役立てたいと願っている。潭州の魚市場の片隅で筵を広げ、薬草を売って暮らしていながらも、なおも国家と人民のことを忘れられない杜甫の執念をそこに見ることができる」(森野繁夫 同 P.242)。杜甫の死は、「食糧を求め、官を棄てて秦州に旅立った759年の秋から12年目のことであった。その間、秦州-同谷-成都-江陵と流浪する旅のうち、比較的平安であった成都の草堂での暮らし以外は、まさに艱難の連続であり、不遇な暮らしの中にあって、国を憂い民を憂い、すべての人々がそれぞれに安らかな生活が送れるような世の中になるように願い続け、また自分のこととしては、長安へ一日も早く帰れることを祈り続けたが、そのいずれも結局は叶えられなかった。まさに不運な生涯であったと言えよう」(同 P.246)。

ブログの読者に、森野繁夫の『杜甫』(集英社)をお薦めしたい。上の詩の結句二行は、若山牧水の作を連想させる。「白鳥は悲しからずや空の青、海の青にも染まず漂う」。詩に時代や時間は関係ない。時を越えて同じ一つの世界。

詩聖杜甫_b0090336_1774794.jpg

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by thessalonike5 | 2008-12-28 23:30 | その他
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