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本と映画と政治の批評
by thessalonike5


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筑紫哲也を悼む(2) - 立花隆はジャーナリズムの人材の発掘を
筑紫哲也を悼む(2) - 立花隆はジャーナリズムの人材の発掘を_b0090336_11401013.jpg筑紫哲也の代わりになるジャーナリストを探さなくてはいけない。誰もがそう思うはずだが、仮にそういう資質や才能を持った有能な人間がどこかにいたとして、それは誰がどのように発掘するのだろう。そう考えたとき、浮かんだ答えが、立花隆だった。盟友であった立花隆にはその責任がある。そして立花隆にはその能力がある。1年前にNHKのクローズアップ現代で、猿橋勝子と「猿橋賞」を特集した放送を見たが、猿橋勝子は自ら賞を創設、最後まで自分で受賞者を選んでいた。そのことが大事だ。司馬遼太郎賞のように、本人が死んだ後で周囲の関係者が選ぶようになると、官僚が選ぶ事務的な年中行事になる。隠れた本当の才能を選び出すことができない。賞を設定せよと言うのではなく、立花隆が、自分のコラムや記事の中で、1年に1人、世に出す価値のあるジャーナリストの人材を選び、名前を挙げて世間に紹介するのである。テレビでも、新聞でも、雑誌でも、ネットでも、媒体は何でもいい。自分が見た中で、これは筑紫哲也の後を継ぐ可能性があると睨んだ者を、自ら選び出して世間に知らしめるのである。




筑紫哲也を悼む(2) - 立花隆はジャーナリズムの人材の発掘を_b0090336_11402461.jpg立花隆も68歳。位人臣を極めた頂点の身なのだから、そろそろ人材育成の使命を考えて欲しい。一般の世界ではこんな格言がある。カネを残すは銅、名前を残すは銀、人を残すは金。立花隆のジャーナリズムの人生と事業においても同じではないか。筑紫哲也や立花隆に続く才能が多くいて、順調に育っているのなら問題ない。だが、現実にはそうではなく、知識人のジャーナリストは世の中から存在が消えつつあり、マスコミの世界は自民党権力の一部になり、自民党政権が自らの反動的な政策を思い通りに運ぶ推進基軸の役割を果たしている。新聞は、特に朝日新聞は、すっかり霞ヶ関の機関紙となり、官僚の意向を世間に知らしめ、官僚の思惑に従って世論を動かす道具に変身した。ジャーナリズムの内実などどこにもない。年をとって幹部になれば、轡田隆史や和田俊や一色清のようにテレビ局に悠々と天下りする。朝日新聞の記者は、報道省新聞局の職員である。新聞局には朝日課の他に毎日課と共同課がある。日経新聞は経団連の機関紙であり、読売新聞は自民党の機関紙である。新聞が堕落したから、テレビ報道に関心や期待が移ったのだ。

筑紫哲也を悼む(2) - 立花隆はジャーナリズムの人材の発掘を_b0090336_11403959.jpgテレビも新聞もそうだが、おそらく入社しているのは縁故であり、世襲であり、政治家や官僚や大企業の幹部の子弟であり、親のバックアップなしで採用されている人間は殆どいないだろう。テレビの女子アナの選考くらいではないか。最近は、そこにビートたけしが割り込んできて、ビートたけしやお笑い系が政治報道を仕切る比重が強くなっている。いずれ報道番組のキャスターは、全て北野オフィスとか吉本興業の仕事になるかも知れない。こうした状況に危機感を感じる人間は、新聞やテレビの人事に何らか介入できる仕組みを案出することが必要で、上に提案した本人が選ぶ「立花隆賞」はその一策である。立花隆が危機感を持っているのなら、趣味に浸るのは止めて、真面目に日本のジャーナリズムの行く末を考え、その再建のために余生を尽くす決断をして欲しい。無論、本当はそれは、筑紫哲也自身が死ぬ前にやらなくてはいけなかったことでもある。私は、NEWS23の後任に後藤謙次を指名したことを納得していない。本当に後藤謙次が適任だったのか。おそらく、自分が復帰するまでの繋ぎとして後藤謙次を置く意図だったのだろう。筑紫哲也と後藤謙次では実力が違いすぎる。

筑紫哲也を悼む(2) - 立花隆はジャーナリズムの人材の発掘を_b0090336_11404946.jpg後藤謙次はただの政治記者で、田勢康弘や田崎史郎と同じ範疇と水準の人物であり、ジャーナリストでもなければ知識人でもない。派閥がどうだのと政界裏話をあれこれ言うだけで、筑紫哲也のような知識人としての視野や関心や思想の持ち合わせがない。本当に視聴者のことを考え、日本のジャーナリズムのことを考えて人選をしたのなら、せめて鳥越俊太郎を後釜に据えるべきだった。それをしなかったのは、いずれ自分が戻るためで、格下の後藤謙次を暫定に据え、視聴者の欲求不満を醸成し、カムバックを求める声を募らせる効果を策したのではないか。鳥越俊太郎が後釜に座り、人気を博し、高視聴率で番組が定着してしまえば、自分が戻る場所がなくなる。意地悪い見方だが、人間の考えることとしては自然であり、そうだったとしても責める気にはなれない。レベルは違うが、似た話として、古館伊知郎が加藤千洋を無理やり降板させて、無知な木偶人形の一色清を隣に座らせた件がある。古館伊知郎が電通と謀ったクーデターだったが、加藤千洋の降板以来、古館伊知郎は機嫌がよく、我が世の春を謳歌して語りが滑らかになった。経済記者のはずの一色清の解説は目も当てられず、古館伊知郎の経済報道の方が中身がある。

筑紫哲也を悼む(2) - 立花隆はジャーナリズムの人材の発掘を_b0090336_11405825.jpg自分とのバランスを考え、電通と朝日上層部を動かして、巧妙に無能な一色清を入れ、優秀な加藤千洋を外した。立教大卒のプロレス実況上がりで終わりたくないという意地と嫉妬がなせる立ち回りだろうか。加藤千洋は東京外大卒。一色清は東大法学部卒。古館伊知郎の狙い的中と言うか、率直に言って、金融危機以降の経済報道と政策解説については、古館伊知郎の方がはるかに鋭く問題を理解している。東大法学部を出ても、何も勉強しないまま出世コースに乗っていただけの会社人間は、一色清のようになるのだ。辺見庸が言うように、確かにテレビに意識を絡め取られて、資本の餌食になってもいけないが、テレビと離れて生活を送るということも一般の人間はできない。現代人がニュースと接するのはテレビであり、世の中の動きを知るのはテレビ報道を通じてである。今、特にジャーナリズムの品質が要求されているのはテレビの世界であり、そこに人を送り込む必要がある。できることは何でもすべきで、立場を持ち、影響力を持っている人間は、テレビをバカにするのではなく、辺見庸的なテレビ拒絶を言うのではなく、逆に、積極的にテレビ報道に有為な人間を登壇させることに使命感を持って欲しい。

筑紫哲也を悼む(2) - 立花隆はジャーナリズムの人材の発掘を_b0090336_1141761.jpg今回、特に立花隆を指名したが、例えば、他に言えば、九条の会の8人の聖人がいる。大江健三郎、井上ひさし、加藤周一、梅原猛、澤地久枝、鶴見俊輔、奥平康弘。8人で年に1回集まって、1人の人間を選び出して顕彰したらどうか。それも過去の業績の顕彰ではなく、新しい人材を発掘して世の中に送り出す目的で選出したらどうか。そういう事業を企画したらどうか。簡単な事業ではないだろうが、とにかくそうやって、現時点で権威を持ち、立場と影響力を持った者たちが精力的に動き、世襲の壁を崩し、人材を発掘育成する努力をしなければ、ただ自然発生的に「能力のある者は出て来い」と待っているだけでは、今では筑紫哲也的な才能がジャーナリズムの世界に躍り出ることは不可能なのではないか。当時の朝日新聞があり、当時の戦後日本の社会環境があったから、本多勝一や筑紫哲也や小林一喜などの人材を輩出できたのであって、当時と現在とでは全く状況が違う。例えば、堤未果とか、湯浅誠とか、若い人材が少しずつ出始めているのは明るい兆候だが、それを阻み、マスコミを官僚や財界や権力者の世襲で固め、筑紫哲也的なジャーナリストが出現する可能性を阻止しようとする圧力もきわめて強い。それに対しては、アクティブで意識的なカウンターが必要だ。

筑紫哲也が死に、残された者の課題と使命は立場によって二つある。一つは、筑紫哲也の代わりになろうとすること。もう一つは、筑紫哲也の代わりになれる人材を探し出すこと。

筑紫哲也を悼む(2) - 立花隆はジャーナリズムの人材の発掘を_b0090336_11411811.jpg


by thessalonike5 | 2008-11-10 23:30 | その他
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