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本と映画と政治の批評
by thessalonike5


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野田聖子入閣を祝す - 郵政選挙とSTOP THE KOIZUMIの頃
野田聖子入閣を祝す - 郵政選挙とSTOP THE KOIZUMIの頃_b0090336_11515351.jpg今度の内閣改造について、退陣ではないかと予測を誤った勇み足は汗顔の極みだが、野田聖子の入閣だけは的中させることができた。「大連立」から読み解く政治分析は空振りだったが、「アダルトな政治学」の視角は当を得ていて有効だったということになる。苦笑する。あらためて、政治も含めて世の中の森羅万象なるものは、一見複雑に見えながら、実にわかりやすくシンプルな原理や動因で動いていることに気づかされる。政治は生身の人間がやるものである。ストレートな結論を下品に繰り返せば、権力者の欲するものは始皇帝の古より不変で、人類が滅びるまで変わることがない。タネ明かしではないが、どういう状況証拠と推理判断でその結論(聖子入閣)が導かれたのか、簡単に述べておこう。まず、新聞記事を二件ほど目撃した。一つは朝日新聞の政界記事だったと思うが、特定できるまでの具体的な記憶はない。一つはネット記事だった。曰く、「入閣待望組として野田聖子元郵政相らの名前が上がっている」。



野田聖子入閣を祝す - 郵政選挙とSTOP THE KOIZUMIの頃_b0090336_14591615.jpgそういう記事が7月の中旬に出ていた。これはいわゆる「新聞辞令」だが、よく考えなくてはいけないのは、この記事は新聞記者が自分の想像や憶測で書いたものではないということである。番記者が記事を書いたときは必ずデスクの査閲を仰ぐ。デスクは記者に必ず聴く。「裏は取れているのか」と。記者は「はい、実は・・」と答え、取材した「裏」の正体をデスクにありのまま上申する。そうして「野田聖子」の名前が出た記事が大新聞の活字になる。一般の読者は「ふーん」と読み流すだけだが、永田町に近い人間は簡単には読み流さず、これが「新聞辞令」である政治の背景を解読して判断や行動の材料にする。つまり、これは誰か政治家が記者に書かせているのだ。それは単に新聞や読者に対するサービスではなくて、読ませている相手がいて目的があるのであり、ズバリ言えば、森喜朗が福田首相にメッセージを伝えるために新聞記者を使っているのである。この場合、こうした「新聞辞令」の政治ができる政治家は森喜朗しかいない。

野田聖子入閣を祝す - 郵政選挙とSTOP THE KOIZUMIの頃_b0090336_14592664.jpg人事権こそ真の権力者の証明に他ならぬ。人事権のない組織のトップは飾り人形に過ぎない。現在の自民党で、「新聞辞令」の政治ができる実力者は森喜朗しかいない。一年前、参院選の前までは、人事権を持つキングメーカーは3人いた。最大派閥の首領である森喜朗、80名のチルドレンを掌握する小泉純一郎、参院(ミキオハウス)を握っていた青木幹雄である。このうち青木幹雄は参院選で大敗北して失脚、実権を失った。小泉純一郎も最近の構造改革批判の潮流の中で、党内では嘗ての威光に翳りが出ていた。その実体的な理由は、80名のチルドレンがすでに「数」ではなくなりつつあるからである。選挙をやればチルドレンは全滅する。となれば、いくらそこに頭数があっても、物理的な数は仮想的な数でしかなく、党内政治を動かす有効な資源としては認められない。政治は力、力は数。数を持たない者は力を持たない。ということで、党内で人事を差配できる実権を持つ政治家は森喜朗だけになっていた。だから、野田聖子の新聞辞令を書かせたのは森喜朗しかいない。

野田聖子入閣を祝す - 郵政選挙とSTOP THE KOIZUMIの頃_b0090336_14593715.jpgあとは「アダルトな政治学」の論証だけだが、これは結論から言えば、「証拠なき確信」であり、例えば、誰もが小池百合子の出世街道のキャリアパス(細川→小沢→中西→森→小泉)について、「証拠なき確信」において眼前の政治的現実を理解している国民的な暗黙の了解と同じである。高市早苗と森喜朗の問題については、10年ほど前の「噂の真相」という雑誌に暴露記事が掲載された事件があった。訴訟になっていたと思うが、裁判の結果は別にして、雑誌を読んだ読者としての感想は、記事内容はきわめて具体的で信憑性が高く、グレーと言うよりクロの印象であった。当時、新進党を離党した高市早苗の面倒を見て派閥入りを世話したのが森喜朗だった経緯がある。前歴を辿れば、森喜朗には「アダルトな政治学」を疑う好色的要素が十分にある。一方、野田聖子の方だが、昨年の年末、「週刊アサヒ」の誌上で、元大物男性アイドル歌手との醜聞が大きく報じられた一件があった。なにやら離婚以来、少なからず私生活が乱れている印象があり、このことが「アダルトな政治学」の洞察へと繋がった。

野田聖子入閣を祝す - 郵政選挙とSTOP THE KOIZUMIの頃_b0090336_14594739.jpgということで、各種の要素を総合的に判断して「野田聖子入閣」を確信して打ってみた。野田聖子については、森喜朗以外にも支援者がいる。古賀誠がそうだ。古賀誠には始皇帝的契機は窺われないが、野田聖子が片山さつきの後を襲って党の広報部長に就いたとき、その昇格人事を全面的にサポートしたのが選対本部長の古賀誠だった。古賀誠は、小泉改革の政治に対して反対の立場の人間で、郵政民営化選挙で刺客を送られた党友に対して同情的であり、その象徴的存在であり「悲劇のヒロイン」であった野田聖子を特にかわいがっていた。野田聖子入閣には郵政選挙で煮え湯を飲まされた連中の強い後押しがあり、党内でこの人事に正面から反論を唱える有力者はなく、あまたいた改造内閣に「華」を添える女性閣僚候補者の中で、野田聖子を押しのけられる者は一人もいなかったのである。ブログは、思想信条の立場を超え、3年前の郵政選挙の激動を振り返り、STOP THE KOIZUMI の運動の日々を思い返し、野田聖子の入閣に祝辞を送るのが適当と思われる。忘れられない3年前の夏の日々。そこに野田聖子がいた。

野田聖子入閣を祝す - 郵政選挙とSTOP THE KOIZUMIの頃_b0090336_14595742.jpg有権者の前で手を合わせ、女の涙を流して薄氷の戦いを制した岐阜1区の激戦。しかし党では小泉純一郎の無慈悲で冷酷な虐待が待っていて、まるで徳川初期のキリシタンのごとく踏み絵を踏まされて変節を強要され、それに応じて恥も外聞もなく操を捨て、郵政民営化反対を撤回して政治家として生き残りを図った。その後も岐阜1区で醜悪な「女の戦い」の騒動を演じさせられ、ストレスは多かったに違いなく、結局は「私は産みたい」の夢も身辺の激動の中で失うところとなった。ひそかに同情していた者は多かったに違いない。野田聖子が郵政民営化に反対する旗手となったのは、1998年に小渕内閣で郵政大臣になったことが大きく関係している。1996年の第二次橋本内閣では郵政政務次官。実は、このときの野田聖子郵政相は業界の中で評判がよかった。IT革命が始まる前夜、それまで陽のあたる重要ポストでもなく、単にお飾り大臣が通り過ぎて行っただけの郵政相の職務を、野田聖子は積極果敢に売り出して郵政官僚を喜ばせていた。幕張の展示会で基調講演を務めたこともあった。野田郵政相のプレゼンテーションは絵になり、業界を大いに沸かせた。

野田聖子入閣を祝す - 郵政選挙とSTOP THE KOIZUMIの頃_b0090336_15088.jpg千葉麗子が、当時、IT雑誌のグラビアアイドルからIT起業家に転進して活躍していたとき、郵政相の野田聖子から直々のメールをもらい、「あなたも頑張るのよ」と激励されたことを感動的に語っていたことがある。ポストバブルも数年経ち、人々の苛立ちの中で景気は一向に回復せず、ネットこそが日本経済再興の鍵だと誰も夢を賭けていた頃、若い女性たちがITの領域で活躍するのを勢いづけるシンボルが野田聖子だった。だからこそ、野田聖子にとって郵政分野は自分の直轄領域であり、郵政官僚は野田聖子をジャンヌダルクのように頼って防衛の盾にして、小泉純一郎と竹中平蔵による侵略と支配を阻止しようとしたのである。野田聖子は忌むべき二世議員であり、決して有能な政治家ではないが、郵政民営化の政治の渦中で受けた虐待や屈辱や痛恨に対しては、同情してやってよいところが少なくなく、3年前の日々を思い出せばその感慨を深くする。敵は同じ小泉純一郎と竹中平蔵であり、堀江貴文と米資と改革勢力であり、改革ファシズムに染まったマスコミだった。岐阜1区の勝利が、改革ファシズムに一矢を報いたハチの一刺しであり、絶望の中の小さな朗報であったことは間違いない。

元大物男性アイドル歌手との醜聞も許そう。3年間の苦労に免じて。自由を謳歌するがいい。祝入閣。

野田聖子入閣を祝す - 郵政選挙とSTOP THE KOIZUMIの頃_b0090336_1501933.jpg

【世に倦む日日の百曲巡礼】

今日も 阿久悠 を偲んで、1975年の 伊藤咲子『乙女のワルツ』 を。

昨日は、日本テレビの阿久悠のドラマを見入ってしまいましたね。「報道ステーション」の組閣ニュースも見たかったのですが、一度見始めるとCMで中断されるまでチャンネルを変えられなくなりました。萩本欽一役がそっくりで、それと都倉俊一役が昔の仕草や感じをよく出していた。

日曜日の朝の11時の生放送。審査員のコメントがあのとおり辛辣で、特に、若かった都倉俊一の横柄な態度にはテレビの前で不愉快な思いをしたものでしたが、今から考えれば、評価そのものは的確だったかもしれない。「スター誕生」のBLOG版でもやって、きっこと一緒に審査員席に座ってみますかね。(笑)

君ね、こんなBLOG書いて、君はいいかもしれないが、読んだ人は面白いと思っていると思うかね。それとBLOGのプロフィール写真はだね、そんな不恰好なネコやイヌじゃなくて、もっとセンスのいい画像を使った方がいいと思うよ。もう一度原点に戻って、BLOGを書くということはどういうことか考え直してくれないか。(笑)

とくらさんに怒られるかな。(大笑)


お宝映像の百恵と淳子の 『渚のシンドバッド』 を掘り出したのでご紹介。昨夜のドラマで、桜田淳子が阿久悠に、「私、そんなに下手ですか」と尋ねる場面がかわいかった。芳村真理にもう一度出てきてもらって、日本の芸能界を仕切り直してもらいたいんですね。夜ヒットは夢のある番組で、あの頃の日本の歌謡界は夢がいっぱい溢れていた。


桜田淳子の出現で「スター誕生」の審査基準が決まったと言っていたけれど、よくわかるような気がする。変な宗教信じるのやめて、早く帰ってきてくれればいいのに。

by thessalonike5 | 2008-08-02 23:30 | 政局
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