本と映画と政治の批評
by thessalonike5
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津村記久子『ポトスライムの舟』 - 非正規労働とモラルハラスメント
b0090336_1695741.jpg第140回芥川賞を受賞した津村記久子の『ポトスライムの舟』を読んだ。イントロから入りやすく、最後まで一気に読め、あれ、もう終わりかと思うほど「了」があっと言う間にやって来る。30歳の女性の芥川賞作品という情報に接すると、予断として文章や文体の未熟さやクセの強さを意識し、読む前から何か身構えてしまうが、この作品にはそうした偏見は無用だった。プレーンでオーソドックスな短編小説として抵抗なく読める。むしろ、どちらかと言えば、物語に変化が乏しくて、内面的な深さや作者のメッセージを強く感じさせないところに不満を覚える読者の方が多いかも知れない。事前情報から受ける先入観に較べて毒がない。この意外な毒気のなさが、私には不満よりも好感の方に作用して、作品と作者に対する積極的な評価となった。それは、この作品には続編がありそうだという期待感にも繋がっている。これから波乱のドラマが続きそうな余韻が残り、登場人物たちのその後の運命に想像を掻きたてられる。私は、この小説はテレビドラマの脚本として完成が可能なのではないかという印象を持った。ナガセ、ヨシカ、りつ子、そよ乃、4人の人生はどうなるのだろう。



b0090336_1610943.jpg4人の女の子の年齢は29歳で、作者とほぼ同じ。バブル崩壊後の就職氷河期を不幸なアクシデントとして経験させられた世代であり、主人公のナガセも非正規労働者として工場のラインで働いている。ナガセから見た世界がそのまま津村記久子の世界観を表現しているはずだが、現在の若い非正規労働者の目から観察した社会がありのまま描かれていて、その視線が未熟ながら素直で冷静で、共感でき、支障なく感情移入することができる。感性の確かさと言うか、内面の安定感に安心を覚える。簡単なように見えて、仕事を持ちながら小説を書いている30歳の若者が、ここまでの作品を仕上げるのはやはり才能が要る。佳作だと言える。小説のタッチはプレーンで、軽快なテンポで物語が進行するが、実は微妙にスリリングで、登場人物たちの前には大きな落し穴が空いていて、一歩踏み間違えば人生を破滅させる危険性に溢れている。それは、湯浅誠が言っている「すべり台社会」の恐怖であり、溜めと蓄えの欠如であり、若者に将来の安定を保障しない社会の抑圧である。われわれの若い頃と全く違う世界に彼らは生きている。作品を評した宮本輝は、この小説の世界に描かれている登場人物たちを「学歴も低いし」と言っているが、4人の女の子は4年制の大学を卒業している。

b0090336_16102043.jpg決して学歴が低いとは言えない。この宮本輝の言葉は、津村記久子には不本意だろう。20代の40%から50%が非正規労働の職に就いている現状は、決して低学歴の若者だけが非正規労働者だとは言えない。プレーンなはずの物語を最初から最後までスリリングな気分で読まなければならないのは、そうした破滅の予感が不気味に漂っているからであり、彼ら登場人物がその「すべり台社会」の環境に生きているからである。誰の身に何が起きてもおかしくない。そういう社会の現実が、描かれた小説の世界に前提的に緊迫感を与えている。それは、物語の冒頭に、ナガセが左腕に「今がいちばんの働き盛り」の文字を刺青しようと思い立つ場面から始まる。それから、自転車のブレーキパッドを盗まれて制御が効かなくなり、赤信号の交差点に進入して危うく車に轢かれそうになる場面に続く。さらに、最後に「風邪」で咳が止まらなくなり、倒れて1週間寝込むところでも緊張が高まる。小説の中では、病気は「風邪」と医者に診断されるが、単なる「風邪」ではないことは描写された症状から窺うことができ、過労による重症の喘息とか肺炎が読者の頭を過ぎる。最後に、4年間総合職を勤めた27歳の新人の女の子がラインに入って来るところで小説は終わる。ここにも次のドラマの予感があり、緊迫感を持続させたまま、破滅でもハッピーエンドでもなく小説が終わる。

b0090336_16103180.jpg29歳の主人公ナガセは、常に働くことと節約することへの強迫観念に苛まれている。「工場の定時後すぐ家に帰るということがほとんどないので、何をするか考えなければいけないのも憂鬱だった。それも無給で。何もなければ、ぽうっと休んでいればいいじゃないか、といろいろな人に言われるのだが、そういう時間がナガセには苦痛に思える。何かをしていないと落ち着かないし、できればそこから小銭でいいから発生させたい」(文藝春秋3月号 P.354-355)。この描写が現在の30歳前後の非正規労働の若者たちの心的風景をリアルに表現しているのだろう。最近のNHKの番組で、若者たちが消費をせず、生活を切り詰めて必死で貯金している様子が紹介されていた。車にもファッションにも興味を示さず、ひたすら生活費を節約してお金を貯めている。その動機は、何か大きな購買目標があるとか、事業資金の準備とかではなくて、何かあったときのための備えとして、将来の安全と安心のための貯蓄であり、まさに自分自身のセーフティネットへの投資行動なのだ。国が張らないセーフティネットを自分で張るために、そのために懸命に貯金に精を出しているのである。無理もない。大企業の総合職の正社員でも、いつリストラに遭うか分からず、そうなれば「すべり台社会」を一気に滑り落ちる以外にないのだ。われわれが若かった時代とは全然違う。綱渡りをするような感覚で生きている。

b0090336_16104692.jpg今がいちばんの働き盛り」。この主人公が刺青に彫ろうとした言葉も、単純なようで考えると深い意味がある。30歳前後は確かに働き盛りで、体力があって、仕事をどんどん覚えて行く時期で、仕事の自信をつけて行く年代である。仕事を通じて自分の将来を設計する時期でもある。いちばんの働き盛りの時期に、主人公は常軌を逸するほど現在の単純労働と薄給にやる気がなくなっていて、職場の人間関係のおかげで仕事を続けている。と同時に、契約社員の工場労働以外に夜のバイトを1日3時間やり、データ入力の内職を家で深夜にやり、土曜日はPC教室で講師を勤め、ほとんど休みなしに働いている。行間の端々に、疲れて眠そうな主人公の様子が出てくる。仕事でくたびれているのだ。睡眠不足で休養不足なのだ。食費の出費を切り詰めすぎての栄養不足もあるかも知れない。小説は、そうした若者の労働環境や生活環境について、社会や国家を告発する政治的意図などは見せず、そこに無理に筆を入れず、淡々と5人から6人の女の登場人物だけが出るドラマを描いている。だが読者には、そこで彼らが耐え難いほど辛い思いを背負わされ、将来への不安と恐怖の中で生きている真実が鋭く伝わってくる。その辛さと耐え難さは、29歳の正気の独身の女の子が、左腕に刺青を彫ろうと真剣に考えて費用を計算する狂気で測られるほど、そうしなければ毎日の労働を続けられないほど、救い難い重さと過酷さなのだ。

b0090336_16105743.jpg非正規労働と貧困の問題に関連して、この小説の中には会社の中のモラルハラスメントの問題が顔を出して来る。会社の中の「いじめ」が、正面からそれを描きこまれることなく、しかし重要なテーマとして問題を投げかける構図になっている。非正規労働が増えた日本の企業社会は、格差だけでなくいじめが蔓延した社会であり、いじめの病弊で人が苦しみ、その病弊が風土病のように定着してしまった社会でもある。企業の中で生きるということは、日常的ないじめで苦労するということであり、いじめを我慢して給料を受け取るということである。日本人の企業での協同関係行為が、高度成長やその後の省エネや情報化の時代と根本的に異なって、人と人とが生産的に関係を繋ぐのではなく、人が人をいじめて苦しませる人間関係に変わってしまっている。企業組織の中の権力関係が、有意味で積極的な契機を根こそぎ喪失して、格差のひけらかしとハラスメントだけに実体化してしまっている。それが常態化して、いじめが働く者たちの当然になり、常識になり、日本人一般の労働意欲を奪う根本的な要因になっている。そのことを小説は控えめに教えている。「すべり台社会」を滑り落ちて行くときの問題は、単に賃金やセーフティネットだけの問題ではなく、企業社会のモラルハラスメントの問題がある。そしてその問題は、単に仕事をする上での問題だけでなく、結婚して家庭を作るという最小単位の協同関係にも病弊を及ぼしていて、それを不具合にさせている。

b0090336_1611812.jpg小説を読んで思うのは、若い人が仕事をして生活することの困難さだけではなく、若い女性が結婚して子供を産み、夫婦生活を円満に送って家庭を築くことの難儀さである。それは登場人物の中のりつ子を通して描かれている。それは容易ではない。簡単にはそれができない。今の日本人は、会社に入って良い上司や人間関係に恵まれることが限りなく難しいように、良い伴侶に恵まれて家庭を築くことが相当に難しい。われわれの頃も、それは原理的には同じだったに違いないが、環境的にはずいぶん恵まれていたように思われる。結婚に失敗したシングルマザーの厳しさがこうしてリアルに描かれると、現代における結婚の難しさというものを思い知らされる。会社で仕事をするということも、結婚生活を送るということも、夢や希望以上に、警戒感を多く抱かざるを得ない営みになっていて、人に幸福よりも不幸を与える障害物になっている。よほど金や家に恵まれた者でないかぎり、就職や結婚はリスクの大きな人生の恐怖であり、選択を間違えれば、あるいは少し運が悪ければ、心を傷つけられて鬱病の被害に苦しまされる脅威である。毒蛇の道を素足で歩くようなものだ。一昨年あたりから、貧困の問題についてはマスコミでクローズアップされ、社会問題として一般に認知されるようになったが、それと構造的に一つの問題であるモラルハラスメントの問題については、未だ注目が低いように思われる。鬱病とか、引きこもりとか、派生の症状として現象化している社会問題が、本人の自己責任として捉えられ続けている。

『ポトスライムの舟』は、きわめて地味な口調ながら、それが一つの構造的な問題であることを明瞭に示唆していて、そのことが、私がこの小説を佳作として評価する大きな理由でもある。

b0090336_16112392.jpg

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by thessalonike5 | 2009-03-22 23:30
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