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戦争を省みる慰霊の季節のマスコミ報道は、今年は、震災の犠牲者の鎮魂と眼差しが重なり、また、戦後日本の復興と被災地の復興が重ねられ、二つを合わせて意味を論じる基調になっている。昨日(8/14)のTBSの関口宏の番組がそうだった。これらを見ながら、私が感じ思ったことは三つで、一つは決意の問題、もう一つは責任の問題、三つめに言葉の問題である。番組の中で、ダワーの『敗北を抱きしめて』の紹介があり、日本人の一人一人が下から平和国家の建設を誓い、憲法9条を守る決意をした歴史が語られていた。本当なら、福島の事故でこれだけ深刻な放射能汚染の被害を受け、強制避難や自殺者の犠牲を強いられ、第一次産業と食生活を壊され、健康不安の恐怖に直面させられている日本人は、原発のない国作りを選択し、世界中から原発をなくそうと運動を起こしてよいはずだ。それが、そうはならず、マスコミや論壇では原発維持派が幅を利かし、原発稼働を正当化する言説ばかりが溢れ、世論が原発維持論者を糾弾したり追放したりする場面にならない。そうなるには、被害がまだ小さすぎるのだろうか。福島第一の作業員が急性障害で何人も死ぬとか、子どもの甲状腺異常が大量に見つかる事態になって、ようやく被害のレベルが容認の限界を超え、人の意識が変わるのだろうか。脱原発が国民運動になるのだろうか。
by thessalonike5
| 2011-08-15 23:30
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