本と映画と政治の批評
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的場昭弘の「恐慌と戦争」論 - マルクス経済学の説得力の台頭
b0090336_1302674.jpg10-12月期のGDPが12.7%(年率)のマイナスとなる速報が発表された2/16、朝日新聞の13面に的場昭弘のインタビュー記事が載っていた。金融危機の発生以降ずっと続いている『資本主義はどこへ』のシリーズへのマルクス経済学者の登場である。この連載企画は面白くて、いずれ1冊の本に纏められて出版されるかも知れない。冒頭、「みんな怖がって口に出さないけど、恐慌です」と的場昭弘は言っている。現在、この状況については「金融危機」の言葉で表現され、「金融危機後の不況」と報道で言われていて、「恐慌」という言葉が使用されて説明されてはいない。だが、今から10年ほど時間が経って、今の現実が客観的に振り返られるときには、現時点は「恐慌」の過程の一部として一般認識されていることだろう。GDP値が速報された夜、一色清や木内登英は、「2010年の後半には景気は上向きになるだろう」と気休めを言っていた。何の根拠もない楽観論だ。これから、間違いなく「金融危機」の第2弾が必ずある。金子勝と田中宇が予言していたオルトAの住宅ローン担保証券市場のクラッシュがある。



b0090336_1148145.jpgオルトAの金利変更は4月。このタイミングでNYSEとドルの暴落が同時に起きるだろう。リーマンが破綻したのは今から僅か5か月前だったが、半年後に日本経済がこれほど劇的に変わり、深刻で悲惨な環境の中にいるとは誰も予想できなかった。これから半年後の日本経済は、われわれの予想を超えたところにあり、そして1年後の日本経済も、われわれの想像を絶した世界となっているに違いない。誰の言葉が説得力をもって響くのか。恐らく、最悪の状況の想定を言う者の発言に、われわれは自然に耳をそばだてるようになるのだ。そして現実は、その最悪の予言以上にもっと深刻に悪化しているのだ。この記事の中で、的場昭弘は、「この恐慌も、基本は過剰生産です」と言い、『資本論』に引きつけた過剰生産恐慌論で現状を説明している。過剰生産は確かにある。だが、それが基本だという説明は私は少し納得できない。今回の恐慌は、過剰生産恐慌と言うよりも過剰信用恐慌と言うべき本質属性を持っていて、モノの生産ではなくて金融の商品と市場が主役であるはずだ。

b0090336_11482379.jpg今後の予測を問われて、的場昭弘は、保護主義の台頭とブロック経済化を挙げ、そして戦争の危険性を警告している。資本主義の必然性が1930年代の世界史を現代に再現させる危険性を告げている。実際に、保護主義化の徴候はリーマン破綻から半年も経たない間に現実のものとなり、ロシアや米国で政策が進行して行っている。多極化という言葉も、その経済的な中身を見れば、ブロック経済化を意味すると見るのが本当なのだろう。21世紀のブロック経済はどのような実相になるのか。少なくとも、米ドル経済による一極支配が崩れることは明らかで、世界経済は「グローバル化」の動きを止め、各国経済はドル経済の一部として従属して活動することから離れようとしている。米国の市場に製品や資源を売り、米国の金融でマネーを回し膨らませる循環を断念していて、別の循環で資本を回す方法を各国が模索し始めている。現在の米国主導のグローバル化が停止すれば、必然的にブロック化の方向になる。水野和夫が唱えているアジア循環モデルの新路線も、見方を変えれば「ブロック経済」に違いない。

b0090336_11483474.jpg今年、エコノミクスの論壇で争点になる問題として、大恐慌を脱したのはニューディール政策なのか戦争なのかという問題が大きくクローズアップされるる予感がする。この問題は古くて新しい問題で、大戦後の世界でずっと論争が続いていた問題であったに違いない。立場は二つに分かれ、マルクス派が戦争だと言い、ケインズ派がニューディールだと大恐慌の克服要因を主張していたのだろう。マルクス派が学界と論壇から消滅し、ケインズ派も新古典派に一掃された後、この論争は地上から絶滅していた。大恐慌が再来して、再び意味のある経済学上のテーマとして復活する事態を迎えた。と言うことは、マルクス経済学の説得力が論壇で復活したことを意味する。この意味は小さくない。現在、論壇ではすでに一つの論争が始まっていて、それはケインズ理論とニューディール政策の実像と意味をめぐる問題であり、丹羽宇一郎のようなケインズを標榜する新自由主義者が、ケインズを新自由主義に引き寄せて解釈し、それに対して伊東光晴のような生粋の経済学者が本来の公共経済的なケインズ像を描いて対置するという構図になっている。この論争は政策に直結し、構造改革の是非に大きく影響する。

b0090336_11484524.jpg「1929年の大恐慌から米国を救ったのは、言われているようなニューディール政策ではなく、実際は戦争でした。米国は戦時経済に救われたが、日本やドイツが進めた統制経済は最終的には成功しなかった。民間企業の生産を国家が統制するのは無理があり、へたをすれば国家破綻もありえます」。辺見庸は、先日のNHKの放送の中で、昭和恐慌から満州事変に至る歴史の経験をもう一度見直さなくてはいけないと強く訴えていた。戦争は、何と言っても、ここが肝心だと私は思うが、雇用問題を解決する。真の解決ではないけれど、問題を表面から消え失せさせる。貧困問題も同じように社会の表面から消すことができる。兵役は国家による雇用である。職に就けない男たちを国が軍に吸収し、低コストで衣食の面倒を見、戦場に駆り立てて口減らしをする。軍隊は低コストな雇用であり、兵役解除になっても退職金を払う必要がない。大恐慌は膨大な過剰設備と過剰労働を生み出し、過剰労働人口の調整が政府に委ねられる。戦争は過剰労働人口を素早く問題解決する最も有効な手段であり、戦争は人口を減らす。有用な生産と労働を削減し、過剰がなくなるまで調整をする。純粋に資本の論理で言えば、戦争はありがたい政策である。

b0090336_11485928.jpg戦争になれば貧困問題もなくなる。生存権だとか、健康で文化的な最低限度の生活などという権利の前提はなくなる。国家がそれを保障する義務はなくなる。憲法は変えられ、国民の権利の保障は名実ともに戦前の大日本帝国の臣民レベルになり、奥谷禮子や奥田碩の主張が正論として法的に確立し、政府見解でも裁判の判例でも正当化されることになる。派遣村運動は反政府集会として弾圧される。日比谷公園に集まる路上生活者は、治安立法で強制的に軍隊に収容される。戦争が始まり、憲法が変えられれば、言論の自由はなくなる。政府批判をネットで言うこともできなくなる。マスコミは戦争報道で一色になり、ネットでは「反日分子」狩りが猛然と行われ、「反日分子」だと右翼にレッテルを貼られた人間は、通報されて当局の取締の対象になる。反戦も反貧困も違法化される。不況で経営危機に陥っていた電機や重機や工作機械メーカーには、軍の特需が振り注ぎ、最新兵器の受注と開発で事業を立て直すことができる。戦争が、恐慌という破局を迎えた資本にとって救済策であることは間違いない。問題は、日本がそうした方向に本当に政治の舵を切るかということだが、気がかりな点は幾つもある。特に懸念されるのは、ポピュリズムの問題と政治家の無能の問題だ。

b0090336_11491167.jpg次の選挙で橋下徹が出てくるのは間違いないと私は見ている。右翼改革新党を立ち上げ、台風の目になり、保守票を大量に奪い取ることだろう。5年前の小泉劇場の再版を狙って来る。現在の橋下徹と大阪府民の関係は、6年前の小泉純一郎と日本国民全く同じであり、不況で没落する府民が橋下徹の「改革」を熱狂支持している。小泉改革に対する見直しの気運が高まり、新自由主義の勢いがようやく国民的なレベルで後退しようとしている時期に、再び「改革」を掲げた新自由主義のカリスマが登場する羽目になった。それと、今度の中川財務相の一件などを見ながら思うのは、日本の政治家の根本的な低脳という問題で、恐らく、1930年代の日本の政治家たちは、どれほど愚昧だったとしても、今の日本の政治家たちより酷くはなかっただろうということである。日本を戦争という破滅へ導いた指導者たち、戦犯になった者もいれば、軍のテロで暗殺された者もいれば、軍に媚びへつらってヘラヘラと閣僚をやり、終戦後はすぐに「民主主義者」に転進して生き延びた者もいるが、濱口雄幸とか、犬養毅とか、高橋是清だとか、広田弘毅とか、若槻礼次郎とか、幣原喜重郎とか、日本史の教科書で名前が出てくる面々のことを考えると、どう考えても今の政権の連中よりは優秀だったと思わざるを得ない。

これらの歴史上の政治家と、今の自民党の森喜郎や小泉純一郎や安倍晋三や麻生太郎と較べて、後者の方が優秀だと思う人間は一人もいないだろう。前者が特に優秀だったとは私は思わない。しかし、少なくとも今の政治家たちよりは優秀だっただろう。その彼らでも、結局は日本を戦争へ導いて行った。そのことを考えると、今の政治家たちが恐慌の解決策としての戦争を選ばないとはどうしても思えないのである。そして、中川昭一や麻生太郎が政治の表舞台から消えたとしても、彼らに投票して選んだ大衆は変わらず、大衆に投票させたマスコミは変わらないのだ。同じであり、ますます劣化と低脳化が進んでいるのである。戦争を止めることができるだろうか。

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by thessalonike5 | 2009-02-18 23:30 | 世界金融危機
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